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内村航平、“究極の技”のさらに先へ。
「自分が体操を通じて何を伝えたいか」 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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posted2016/08/06 12:00

内村航平、“究極の技”のさらに先へ。「自分が体操を通じて何を伝えたいか」<Number Web> photograph by AFLO

今大会でも大本命の個人総合に加えて、団体、種目別でも金メダルの可能性がある内村航平。まさに絶対王者の風格だ。

ロンドン五輪後から内村に生まれた内なる変化。

 体操界を引っ張っていきたい。未来へつなげたい。

 内村がこのような言葉をハッキリと口にするようになったのは、'12年ロンドン五輪の後だ。

 '09年世界選手権で初めて個人総合の世界王者になってから11年まで3連覇を達成し、ロンドン五輪でも個人総合を制した。13年以降の世界選手権でもすべて勝っている。体操界を引っ張っていくための実力、実績、経験はすでに必要十分の域に達している。

 一方で、団体金メダルにはなかなか手が届かず、それが心の中の唯一の陰りとなっていた。

 '08年北京五輪、'10年、'11年世界選手権、そしてロンドン五輪と、いずれも銀メダル。さらには'14年世界選手権でもまたしても2位となった。

 個人総合で勝つことが嬉しくないわけはないが、それだけでは満たされないものがあることも、彼の胸の内では厳然たる事実として膨らんでいた。そして、自分を満たしてくれるものが何であるかという答えを教えてくれるのは団体金メダルであると強く感じるようになっていった。

団体、個人世界一の自分がもっと発信していかないと。

「欲しいのは団体の金メダルだけ」

 何度も口にしてきた目標を、昨年の世界選手権ではようやく達成することができた。ところが、いざ手にしてみると、それでも必要十分ではなかった。

 リオ五輪での団体金メダル獲得への思いが一層強まった。五輪で団体5連覇を達成した'60年代から'70年代にかけての黄金時代、燦然と輝いた'04年アテネ五輪が示すように、五輪で頂点に立つことだけが持つ答えがあることをあらためて噛みしめた。

 内村は昨年の世界選手権後、「団体世界一のメンバーであり、個人でも世界一の自分が、もっと発信していかなければならない」と話していた。リオ五輪を2カ月後に控えた今年6月、言葉の深意を尋ねると、彼がこの4年間に考えてきたことが浮かび上がってきた。

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