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佐藤琢磨担当エンジニアが現場復帰。
ホンダが見せた本気の「人事異動」。 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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posted2016/02/28 10:30

佐藤琢磨担当エンジニアが現場復帰。ホンダが見せた本気の「人事異動」。<Number Web> photograph by Masahiro Owari

前任者の新井康久氏(左)と握手を交わす長谷川祐介総責任者。第3期に不完全燃焼に終わった無念をぜひとも晴らしてほしい。

ビルヌーブや琢磨を担当し、チーフエンジニアに。

 長谷川がモータースポーツの仕事を始めたのは、第2期F1活動を休止したホンダが、アメリカのインディカーシリーズへ活躍の場を移してからだった。1996年にホンダがマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得したとき、エンジンのシステム制御を担当していたのが長谷川である。

 その活躍が認められ、ホンダが再びF1に復帰した第3期には、エンジンのレースエンジニアに抜擢。ジャック・ビルヌーブや佐藤琢磨を担当し、F1の世界でもまれた経験を持つ。その後、テストとレースでエンジン側のエンジニアを統率するチーフエンジニアに昇格。2009年からは中本修平に代わってチームの技術部門を統率する予定だった。

 しかし、ホンダは2008年限りでF1から撤退。ホンダのファクトリーがあったイギリスから帰国した長谷川は、日本の研究所で量産車のEVやハイブリッドなど先進的な開発を行なう毎日を過ごす。2009年こそタイトルを懸けて戦う元同僚たちを応援するためにテレビでF1を観戦していたが、2010年以降、長谷川がF1を見ることはなかった。

 その長谷川が再びテレビのスイッチを入れてF1をフォローするようになったのは、ホンダがF1に復帰した2015年だった。しかし、6年間のブランクを経て復帰したホンダを待っていたのは、厳しい現実だった。一方、かつて自分が所属していたチームはメルセデスに買収され、2014年から無敵の王者に君臨していた。

「やり遂げられなかった8年前の続きを」

 今回の人事異動は、長谷川にとっては荒波に船を漕ぎだすような決定だったかもしれない。それでも、長谷川の姿が辞令が出たその日に、すでに現場であるバルセロナにあったのは、この決定が単なる異動ではない証左である。

「やり遂げられなかった8年前の続きをやらせてもらえることに、いまはとてもエキサイトしています」

 カタロニア・サーキットに現れた長谷川は、8年ぶりにF1の現場にチームスタッフの一員として帰ってきた心境をそう表現した。

 レースはホンダのDNAである。今回の決定は、ホンダが本気でレースを、そしてF1を戦うという意思表明だと、私は信じている。

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