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バットマン? スーパーマン?
いや、日本には「ストレッチマン」がいる。 

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NumberDo編集部

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photograph byAtsushi Kondo

posted2016/02/04 11:55

バットマン? スーパーマン?いや、日本には「ストレッチマン」がいる。<Number Web> photograph by Atsushi Kondo

19年間の長きにわたり子どもたちにストレッチと笑顔を届け続けた“初代”ストレッチマン。

熱狂的な盛り上がりの一方、悩みも。

 ストレッチマンの始まりは、1994年、NHK大阪放送局が特別支援学校向けに立ち上げた番組「グルグルパックン」の1コーナーとして、であった。以降、1番組として独立し、2013年に後続番組「ストレッチマンV(ファイブ)」へバトンタッチするまで、カルト的なヒーローとして人気を博した。特に、全国の特別支援学校でロケを行うようになってからは、「イカかいじんコワイカ」など、メイクと着ぐるみで怪人となった先生たちとの対決を中心に熱狂的なファンをも生み出していったが、その盛り上がりの中、番組本来の趣旨が見えづらくなるという一面もあったという。

「もちろん取り上げてもらうのは嬉しいんですが、先生が扮する怪人と対決したりするのは、あくまでも枝葉の部分なんです」

「ストレッチパワー」に秘められた意図とは?

 自らの身体を強く意識していなかったり、あるいは麻痺ゆえに体の部位が硬くなってしまっていたり。知的な障害、肢体不自由などを抱える子どもたちとのやりとりは、ストレッチマン=宇仁菅さんにとってもチャレンジであったはずだ。宇仁菅さんは語る。

「ストレッチでは息を止めない、無理をしない、反動をつけない、という三つが大事になります。番組では『1・2・3・4・5』と数を数えた後に、『ストレッチパワーがここに溜まってきただろう』と言いながら、筋肉を伸ばした部位を意識させます。大声で数を数えるのも、子供たちに息を止めさせないようにするためでした」

 何気なく見えるワンシーンも、工夫に工夫を重ねた上での選択なのだった。子どもたちにストレッチを伝えるヒーローが歩んだ日々、次から次へ語られる“秘話”に、取材チームは夢中になって引き込まれていった――。

 宇仁菅さんが語る「ストレッチマンとしての人生」は発売中のNumber Do「ストレッチ知ってるつもり!?」に掲載されています。ストレッチマンとして過ごした19年間は、子どもたちの身体と、そして宇仁菅さん本人の身体も変えていったとのこと――エピソードのひとつひとつが胸につまります。ストレッチマンは本物のヒーローでした。
 ほかにも、独占インタビュー「香川真司 ストレッチを語る」「レジェンドのストレッチ エディー・ジョーンズ/山本昌/田臥勇太」「ランナーはシェー!! をしよう!」など読んで納得、役立つ記事が満載です。
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