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鈴木啓太が語りつくした引退と浦和。
「だけど、寂しさがあるとすれば……」 

text by

寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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photograph byHideki Sugiyama

posted2016/02/03 10:50

鈴木啓太が語りつくした引退と浦和。「だけど、寂しさがあるとすれば……」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

現役引退会見から1週間あまり。鈴木啓太は実に晴れ晴れとした表情をしていた。

福田正博の引退会見に痺れた若き日の啓太。

――ひとつのクラブで現役を終えるというのは、鈴木啓太というプロ選手のキャリアとしては、理想だったのでしょうか?

「2003年に福田(正博)さんが『浦和以外のユニフォームを着てプレーすることを考えられない』と言って引退されたとき、本当にカッコいいなと痺れたことを今でも強く覚えています。でも、僕自身は海外のクラブでプレーするという夢も持っていたから、自分は福田さんのようにはなれないなと思ってました。でも、何度か海外移籍のチャンスもあったけれど、結局は浦和に残る決断を繰り返してきました」

――2006年の最初のオファーのときは、当時の犬飼社長から「浦和で優勝してからでいいじゃないか」と言われたと。そして、念願の優勝を果たした後の2007年にも海外からオファーがありましたよね。

「はい。移籍しなかった理由として、当時は日本代表監督のオシムさんがJリーグでプレーする選手を中心にチームを作るという方針だったのもあるのですが、今考えると、あの時すでに自分は浦和を離れられない人間になっていたのかもしれないな、と思います。

 だって、優勝とか代表とかじゃなく『海外でプレーする』という選択をしても良かったんだから。あとづけですけどね(笑)。結果的に浦和以外のユニフォームを着ることなく、現役を終えたわけですけど、今となっては、自分の心の奥底でそれを求めていたのかもしれないなという気もします。福田さんと同じように(笑)」

サポーターを受け入れるのが難しかった頃。

――「サポーターと共に戦う」という浦和レッズのDNAがあるから、「浦和で終わろう」となったのかもしれませんね。

「クラブはサポーターのモノという意味で、Jリーグでも浦和レッズは代表的なクラブだと思う。だから、サポーターの想いを背負って戦わなくちゃいけないチーム。それが選手の力にもなれば、プレッシャーにもなる。そういうものをひっくるめたのが、浦和レッズというチームだから。選手はそういう想いを持ってプレーしなくちゃいけない。

 僕自身、浦和に入った当初はそういうサポーターを受け入れるのが難しかった。一生懸命プレーをして負けたら、その悔しさを選手は強く感じている。なのに、サポーターから罵声が飛ぶというのが理解できなかったんです。『なんだよ、こいつら』くらいの気持ちになったことも正直あった。最初は『これがプロというものなんだ』と割り切るようにして消化していたけど、徐々に自分の考え方が変わってきた。

 勝ったとき、優勝したときに歓びを爆発させるサポーターの様子を見ていると、彼らが『俺ら選手以上に喜んでくれている』ということに気づく。選手にとってのサッカーは夢でもあるけれど、同時に仕事でもある。でもサポーターにとっては、純粋に夢でしかない。仕事じゃないんですから。そういう人たちの夢を背負って戦うのが浦和の男、浦和レッズの選手だと思うようになったんです。

 今の選手にもそういう覚悟で戦ってほしい。心底それを理解し、体現するのは簡単なことじゃないですけどね」

【次ページ】 サッカーには文化とエンターテイメントの側面がある。

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