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殿堂入りに9年かかった斎藤雅樹。
無口、背筋、そして伝説の10.8。 

text by

鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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photograph byKoji Asakura

posted2016/01/22 10:40

殿堂入りに9年かかった斎藤雅樹。無口、背筋、そして伝説の10.8。<Number Web> photograph by Koji Asakura

巨人と中日の最終戦が優勝決定の直接対決となった伝説の“10.8”。斎藤雅樹がリーグ優勝を大きく引き寄せた。

伝説の10.8、斎藤投入には理由があった。

 そして斎藤が投手として総合的に優れていたもう一つの証が、4度のゴールデングラブ賞の受賞ではないかと思う。

 バント処理などのフィールディングが抜群にうまかったのだ。その事実を物語るエピソードが1994年10月8日、巨人と中日が同率首位で最終戦に優勝をかけて激突した“10.8決戦”だった。

 この試合は巨人が2回に落合博満内野手のホームランなどで2点を先制。しかしその裏に先発の槙原寛己投手が4連打を浴びて2-2の同点に追いつかれ、なお無死一、二塁のピンチを招く。打席には9番の中日先発・今中慎二投手という場面で長嶋茂雄監督は斎藤をマウンドに送った。

 ただ、当時の堀内恒夫投手コーチによると、この交代の決断にはただ不調の投手を代えるというだけではなく、もう一つ、大きな要素があったのだという。

槙原と斎藤では守備力に大きな差が。

「ノーアウト一、二塁になってフィールディングのことを考えた。そこですぐに斎藤へのスイッチを決めたんだ」

 シチュエーション的にはほぼ送りバントの場面だった。ただ優勝を決める大一番だけに、守備側としては100%バントと決めつけて一、三塁がチャージして遊撃手が三塁のベースカバーに入るシフトを取るわけにはいかなかった。

 そこで、リスクを最小限にしつつ二塁走者の三進を阻むためには、一塁手はチャージするが、三塁方向への打球は投手が一気にマウンドを駆け下りてカバーするバントシフトを選択せざるを得ない。要は投手の守備力がポイントになる。そこで斎藤のバント守備のうまさにかけての投手交代だったということなのである。

 期待に応えて斎藤は投球と同時にマウンドを駆け下り、今中の投前バントを処理すると躊躇なく三塁に送球して二塁走者を封殺した。そうして5回を1失点で抑えたのだ。

「結果的にはあのワンプレーが、中日に傾きかけていた試合の流れを巨人に引き戻すことになった」

 堀内コーチが後にこう述懐しているように、まさにあの世紀の一戦の投の立役者は、斎藤だったのである。

【次ページ】 羽根が生えているようだった、凄まじい背筋。

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斎藤雅樹
藤田元司
読売ジャイアンツ

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