欧州サッカーPRESSBACK NUMBER

細貝萌が明かしたトルコ移籍への思い。
幻となったヘルタのキャプテンマーク。 

text by

ミムラユウスケ

ミムラユウスケYusuke Mimura

PROFILE

photograph byYusuke Mimura

posted2015/12/13 10:50

細貝萌が明かしたトルコ移籍への思い。幻となったヘルタのキャプテンマーク。<Number Web> photograph by Yusuke Mimura

ブルサスポルはトルコリーグ創設から4年後の1963年に創設された歴史あるクラブ。細貝はトルコで再び輝こうとしている。

「今の経験は必ず生きる」

 それだけの魅力の他に、もう一つ、細貝の心を刺激することがあった。

「もちろん、ドイツにいれば快適です。ある程度はドイツ語もわかるようになって、ドイツの生活で困ることは全くないし、むしろ居心地がいいとさえ感じるようになりました。オフになったら、ベルリンに帰りたいなと思ったりもします」

 ドイツでの日々をそう形容したうえで、細貝はこう話している。

「もちろん、日本と比べればドイツで暮らすなかで不自由することはあります。トルコに行けばもっと大変だとは思いますよ。でも、短いサッカー人生のなかで、新しい国で、新しい言葉で、新しいチームメイトと生活をともにしていくことは、細貝という一人の人間にとって、すごく価値のあるものになるかなと。10年後なのか、20年後なのか、この経験がいつ役に立つかわからないですよ。サッカー選手として試合に出たい、新しい挑戦をしたいという想いと同じくらい、その過程で人としての成長にも期待してみたいんです。将来、自分がどういうことをしようとも、それがどういう形であろうとも、今の経験は必ず生きると信じているんですよ」

ヘルタのキャプテンマークを巻いた写真。

 細貝のサッカーにかける時間と情熱はこれからも変わらない。その上で、サッカーを通して人として成長したいと考えている。そんな細貝の想いが決して夢物語ではないと証明してくれるのが、冒頭で触れた、ヘルタのクラブハウスのパソコンに保管されたまま表に出ることのない写真データだ。

 それは左腕にキャプテンマークを巻いた細貝のポートレート写真だった。

 新たなシーズンに向けて各クラブは開幕の1カ月以上前から選手の写真を用意する。当時のヘルタを率いていたルフカイは、開幕までの期間をかけて“どちらの選手に”キャプテンを任せるのかを決めようとしていた。その候補となったのが、細貝とルステンベルガーの2人だった。

 最終的にはルステンベルガーがキャプテンを務めることになったのだが、ドイツのサッカー界の頂点に位置するリーグで日本人として初めてのキャプテンが誕生したとしても何ら不思議ではなかった。

 では、キャプテンにふさわしいのは、どんな選手だろうか。

 ピッチの上で見せるサッカー選手としての能力に優れ、一人の人間としても周囲からの尊敬を集められる資質を持った選手のことだろう。

 細貝はサッカー選手としても、一人の人間としても、ドイツの地で、オランダ人のルフカイ監督から、高く評価されていたのだ。

BACK 1 2 3 4 5
細貝萌
原口元気
ヘルタ・ベルリン
ブルサスポル
ヨス・ルフカイ
アウクスブルク
パル・ダルダイ

海外サッカーの前後の記事

ページトップ