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湘南が育てた「1億円の日本代表」。
大倉社長が語るクラブ規模と育成。 

text by

並木裕太

並木裕太Yuta Namiki

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2015/09/30 10:50

湘南が育てた「1億円の日本代表」。大倉社長が語るクラブ規模と育成。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

A代表にも「定着」したといえる遠藤航。武器は万能性、というなんとも老練な選手だ。

湘南の大倉社長に、遠藤航の育て方を聞いた。

 J1で最もお金のないクラブが、なぜ遠藤選手のようなプレーヤーを育て上げることができたのか。2005年に湘南の強化部長に就任して以来、遠藤選手の育成の過程を間近に見てきた大倉智さん(GMを経て現在は代表取締役社長)に、「1億円の日本代表選手」の育て方を聞きました。

――大倉さんは湘南に来られる前はセレッソ大阪で強化担当の仕事をされていましたね。

大倉 僕がセレッソに入った当時は、ガンバの下部組織からトップチームに昇格した稲本潤一が高3(当時最年少の17歳6カ月)でJリーグの試合に出たことが話題を集めた後ということもあって、大阪のスカウティングはガンバの一人勝ち状態でした。

 何とかしなければと、スクールの拠点を増やしたり、指導者を入れ替えたり、育成専門のスカウトを置いたりしてとにかく選手を確保できる態勢を徹底的に作っていった。あとは「どんな選手が伸びるのか」というクラブ独自のスカウティングの物差しを、みんなで議論しながら作り上げましたね。

招聘したチョウ・キジェ監督が、遠藤を見つけた。

――その後、湘南の強化部長に就任されるわけですが、セレッソより予算規模がかなり小さいのではないかと思います。育成にまつわる状況もだいぶ違ったのではないでしょうか。

大倉 いえ、今でこそ寮もできて府外から選手を獲得し始めていますが、当時のセレッソは決してお金があったわけではありません。ですから、ベルマーレでもやるべきことはほとんど同じでしたよ。

 混沌としていたシステムを三角形に整理して、セレッソの時と同じように物差しを作った。拠点を増やし、分母となるスクール生を500人から現在の3000人規模まで引き上げました。指導者も代えましたが、その中心として曹貴裁(チョウ・キジェ、現トップチーム監督)さんをセレッソから招聘したんです。

――横浜F・マリノスのジュニアユースチームのセレクションに落ちた遠藤選手を見出したのも、曹監督だったそうですね。

大倉 当時、アカデミーダイレクター(育成統括責任者)兼ユースの監督だった曹さんが別の選手を目当てに視察した試合で、偶然目に留まったセンターバックが遠藤だったそうです。体はまだ小さいけど、ヘッドアップしていて遠くを見ることができているし、非常にクレバーだと。

 湘南のユースに入ってからは、高1のころからとにかく我慢強く使い続けました。点はたくさん取られるし、上級生の選手の親からいろいろ言われたこともありましたが、曹さんはそれでも遠藤を使うことをやめなかった。これは選手層の厚いビッグクラブの育成組織ではできなかったことかもしれません。小さなクラブだからこそ、上の年代と下の年代の垣根がなく、双方の情報交換もうまくできる面がある。曹さんなんて、今でもユースやジュニアユースの選手を下の名前で呼べるくらいよく知っています。

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