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真弓明信が今だから明かしてくれた
ホームランを打つための“狙い球”。 

text by

鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

PROFILE

photograph byMakoto Kemmisaki

posted2015/09/25 10:40

真弓明信が今だから明かしてくれたホームランを打つための“狙い球”。<Number Web> photograph by Makoto Kemmisaki

1番打者ながらホームランを連発した。初回先頭打者本塁打記録は通算41本で、福本豊に続く日本歴代2位。セ・リーグでは1位だ。

バースは力だけじゃなく頭脳も優れていた。

――真弓さんから見て1985年のチームで印象に残っているバッターは誰ですか?

「やっぱりバースでしょうね。彼は外国人の助っ人という感じじゃなかった。日本語は話さなかったですけどね(笑)。でもあれほど日本の野球に馴染んだ選手はいなかったですよ。それともの凄く頭が良かった。あの頃はまだ配球とかそういうことがあまり言われていなかったけど、バースはピッチャーの組み立てを全部読んで打っていましたからね。それに甲子園(球場)だと引っ張ってもあまりホームランが出ないから、センターから左へ打てるようにバットのヘッドの重量配分まで甲子園では変えて使っていましたらね。力の打者だけど、力だけじゃなくて頭なんです」

――完璧な打者だった……。

「ただ唯一、打てなかったのが速いボールなんです。当時のスピードガンで言うと145kmを越えると苦手意識があった。向こうで大成できなかったのは、そういうところにあったと思いますけど、あの翌年に7試合連続本塁打を江川から打った時にはインコース高めのストレートを場外まで打っている。狙ったら打てるということですね。だからあれは江川ならここしかないと狙って打ったホームランだと思います」

長打だけでなく、打線がつながった理想のチーム。

――そのバースさんに掛布さん、岡田さん、そして真弓さんと揃った打線を考えれば、優勝できると考えたのは至極当然だったわけですね。

「他の選手も多少なりとも感じていたことだと思うけど、口に出していうのはちょっと恥ずかしいという感じがあったんでしょうね。でも、長打だけではなくて、それぞれが自分の役割に徹して、その役割をきちっとこなすことができる技術を持ったチームだったことも大きかったと思います。そうやって打線がきちっと線としてつながっていた。やっぱり一つの理想のチームだった。だからああいう素晴らしい結果が生まれたということですね」

バックスクリーン3連発に象徴される猛打を記憶に刻み込んだ“新ダイナマイト打線”だったが、選手一人ひとりが自らの役割をこなしていたからこそ、打線として機能したと語る真弓氏。次回は中継ぎを中心に58試合に登板して、吉田監督の“ジョーカー”としてフル回転した福間納投手があのシーズンを語る(10月1日配信予定)。
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吉田義男はこう振り返る。
「あの年はとにかく打った、打ったという話になりますが、どんな状況でも個々の選手が自分の仕事をきちっとこなしてくれた。それがあの年の阪神の強さでした」

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真弓明信
阪神タイガース

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