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丸山茂樹が引き受けた五輪のコーチ。
「引率役」の葛藤と重みを感じて。 

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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photograph byKyodo News

posted2015/09/28 10:30

丸山茂樹が引き受けた五輪のコーチ。「引率役」の葛藤と重みを感じて。<Number Web> photograph by Kyodo News

2年前、丸山茂樹と松山英樹がともに参加した試合でのこと。今度はコーチと選手として五輪に向かうことになるか。

選手として同世代が活躍する中での立ち位置。

 米ツアー3勝という金字塔。だがそれは、丸山の選手としての生涯を保証するものではない。日本ツアーでは10勝。永久シード獲得となる通算25勝への到達は非現実的である。

 2人の間、丸山の内心には、同様の役割が2020年の東京オリンピックで巡って来るのではないか、という希望的な予測があった。

 同世代のアーニー・エルスやフィル・ミケルソンはいまだトップツアーで惜しみない声援を浴びている。丸山が「50歳で迎える東京オリンピック」と思いを馳せたのは、プレーヤーとしてのプライドが残るが故である。そう言った意味では、今回の要請は残酷なものかもしれない。

 だが、丸山は今回の職務に自らの存在意義を見出している。開催が1年後に迫ったいまでも、オリンピックでのゴルフ開催、トッププロの参加への懐疑的な声は多い。男女ともに米ツアーの選手たちには毎週“世界戦”を戦っている感覚がある。グリーンジャケットとメダル、どちらに重みを感じるかというのは、世界中の男子ゴルファーにとって愚問だ。

丸山は、日の丸に価値を置いてきた珍しいゴルファー。

 その中でも丸山は、日の丸を背負うことに大きな価値を置いてきたゴルファーである。「選抜戦は全部経験させてもらってきた。国旗のために頑張ってきたつもり」。世界ジュニア、世界アマとエリートコースを歩み、日大時代にはアジア大会で金メダルを獲得した。

「みんな実感がないと思うんですよ。目指すものが金メダルという“非日常”に、ゴルファーは慣れていない。ただ、その場に行って、日本選手団のジャケットを着て、表彰台に乗ると結構感動する。一回味わうと、違うと思うんですけどね。僕は、結構熱く頑張っていたタイプ。『行ったからには絶対に表彰台に立ってやるぞ!』って」

 プロ転向後も、辞退者も多いワールドカップには2000年から5大会連続で出場した。同大会は他のツアートーナメントと同様、渡航費などはほぼ自費である。それでも丸山は、「日本代表」にこだわった。'02年には伊澤利光とのコンビで優勝し、歴史に名を刻んだ。

 王座を争った米国代表のミケルソンとペアを組んだデビッド・トムズは、それからしばらく口もきいてくれなかったが、今となってはそれもカップの重みが分かる逸話である。

「そういう感動を、選手は味わってくれたらいい。ゴルフがオリンピックに復活する最初の年に、引率係としてでも行けることは僕のゴルフ人生においても嬉しい」

「マル・ジャパン」の行く末も、指揮官の手腕がチームに及ぼす影響力も、いまはまだ鮮明でない。

 それでも、丸山茂樹という存在が生き生きとしている事実は、日本のゴルフ界にとっていいニュースであると思うのだ。

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