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強豪校が初出場校に次々敗れ――。
甲子園の新たなる時代を感じた時。 

text by

氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byKyodo News

posted2015/08/13 16:30

強豪校が初出場校に次々敗れ――。甲子園の新たなる時代を感じた時。<Number Web> photograph by Kyodo News

天理vs.創成館での9回裏。創成館は2死三塁から右前にサヨナラ打を放った。右手前は天理の投手として先発した冨木。

背番号「7」の選手が先発していた理由。

 創成館との試合で背番号「7」の冨木峻雅が先発していたことが示しているが、本来この選手は投手ではないのである。エースの斎藤佑羽が地区大会前に左手中指の骨折で離脱し、かつて投手をしたことがあった冨木が急遽マウンドに上がるようになったのだ。

 主将の貞光広登は、そんな苦しいチーム事情の説明で言葉を詰まらせた。

「冨木は、練習では野手メニューをこなしていて、投手のトレーニングをやっていたわけではなくて、野手のトレーニングをした後に、ブルペンに行っていただけでした。冨木が頑張ってくれていたので、僕たちで、何とかしたかったんですけど……」

 実はこの話、エース・斎藤の離脱だけではない事情もある。

 今の3年生が1年生の秋に、主軸である投手陣の一人だった姫野優也が大阪偕星に転校。これは仕方ないにしても、エース候補だった本格派右腕の橋本晃樹が、2年春の県大会での登板がたたり、昨年の夏前に右ひじの靭帯を損傷した。橋本によれば「入部した時から腰の状態が良くなくて、1年冬のトレーニングはあまりできなかった。春になって投げられるようになって結果も出ていたんですけど、下半身のトレーニングをしないまま実践で投げたので、その負担がひじにきたのだと思う」と話している。

 橋本は長期のリハビリを乗り越えて、今年春のセンバツには野手としてチームに戻ってきた。ピッチャーとしての復帰は先送りになったが、バッティングが良かったために、センバツ1回戦の糸満戦にスタメン出場したのだ。しかし、打席でフルスイングした際、左肩を脱臼。橋本の投手としての復帰は、センバツでの無理な出場でさらに先送りされたのだ。

時代の流れに、強豪校はいかに適応していくのか。

 橋本は今年夏の地区大会では、3分の2イニングを投げただけにとどまっている。エース斎藤の離脱もあって、天理の本来の投手陣は、誰もいなくなってしまったのだ。

 故障などのアクシデントは、高校野球の中ではつきものである。しかし、これほどまでにアクシデントが重なる背景から、天理はチーム作りを見直さなければいけないのかもしれない。49代表校中で、エースナンバーが地区予選で投げなかったのは、天理だけなのである。

 指導者としては高齢になる高嶋監督、天理の橋本武徳監督の指導に問題があるわけではない。時代の流れに飲み込まれぬよう、その先を見据えたチーム作りへの転換が必要なのかもしれない、と危惧しているのだ。

 高嶋監督が以前に、こんな話をしてくれたことがあった。

「高校野球のチームには旬というものが存在する。池田がそう、PLがそう、箕島がそう、不思議なくらいに勝ててしまう旬の時期があるんです。2000年代までのうちも、まさにそんな時代だった」

【次ページ】 高校野球は節目の時期を迎えているのだろうか。

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