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ライトヘビー級王者が描く、内側から見たボクシング。
~『カシアス・クレイ』を読む~ 

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馬立勝

馬立勝Masaru Madate

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posted2015/08/13 10:30

ライトヘビー級王者が描く、内側から見たボクシング。~『カシアス・クレイ』を読む~<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

『カシアス・クレイ』ホセ・トレス著 和田俊訳 朝日新聞社(現在絶版)

 左フックがアリのあごに決った。アリはそれが決るのを見ていた。アリの首が左側に折れた。百万匹の蟻がアリの身体に入っていく。蟻は入るや否や、身体から抜け出していく。アリは自分の足が崩折れていくのに気が付かない。倒れた。関節は意識ではなく、ただ神経だけで動いている。一秒間が過ぎた…短縮引用だが、迫力ある素晴らしい描写の一端は分かるだろう。1971年3月のモハメド・アリ対フレイザー戦。書いたのは引退後ボクシング記者に転身した元ライトヘビー級チャンピオンのホセ・トレス。膨大な数のアリの評伝、伝記の中で特異な光を放つ本書はチャンピオンがチャンピオンの試合を詳述した稀有の一冊だ。

 ベトナム戦争中、アリはブラック・モスレムに入信した。戦争に反対し徴兵を拒否する反国家的な言動がボクシング界に嫌われ、ヘビー級王座のタイトルとライセンスをはく奪され追放された。徴兵忌避で下級審から懲役5年の実刑判決を受けた。法廷闘争で最高裁の実刑判決破棄を得るのに選手ピーク期3年半を犠牲にした。そしてリング復帰最初の3試合を読者は元王者の眼と経験、感性、思考を通して体験する。

元ボクサーの記者だからこそ描けた精神と肉体の考察。

 3年半のブランクは、アリを変えた。マイケル・ジャクソンのダンスを思わせるカシアス・クレイ時代のフットワーク、蝶のように舞い、『蜂のように刺す』(本書の原題)変幻自在のスピードは失われていた。難戦、苦戦の3試合をラウンドごとに戦うアリの心のうちに分け入って探り、精神と肉体の連動を考察する。アリは白人選手との試合で苦戦が多い、との指摘はどうだ。「ブラック・イズ・ビューティフル」と常に叫んでいたアリの屈折した心がうかがえないか。

 本書は3章からなる。第1章と第3章が試合の解剖、第2章はアリの評伝的なレポートで、この章は別の記者との共作。作家ノーマン・メイラーは“まえがき”で、プエルトリコ出身で英語に習熟してないトレスがいかにして本書を書いたかを語り、1章、3章を「ボクシングを初めて、純粋に、真正に、内側からみることに成功した」とたたえた。ボクサーにしか書けないボクシングの本だ。

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