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相馬野馬追を支える地元の馬事文化。
4年間で取り戻したもの、戻らぬもの。 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byAkihiro Shimada

posted2015/08/01 11:00

相馬野馬追を支える地元の馬事文化。4年間で取り戻したもの、戻らぬもの。<Number Web> photograph by Akihiro Shimada

甲冑競馬では、中之郷の騎馬武者、西勝正氏が騎乗したハギノコメントが逃げ切った。現在は南相馬市に繋養されているという。

仕事の納期などにも使われる「野馬追基準」。

 しかし、野馬追に参加するすべての馬がこの地区で繋養されているわけではない。半数ほどは、野馬追のときだけほかの地区から調達された馬たちだ。

 私が初めて野馬追を見た2011年からずっと取材している小高郷の蒔田保夫さんも、今年は他地区から借りた馬で出陣した(震災前は、この地区内で借りていた)。

 蒔田さんは、当時20歳だった長男の匠馬さんと妻の両親を、震災の津波で亡くした。前年まで、匠馬さんとともに毎年野馬追に出場していたのだが、'11年と'12年は、喪に服す意味で出場を見合わせた。'13年、3年ぶりに甲冑行列に参加し、昨年は神旗争奪戦にも久しぶりに出場し、見事に旗を獲った。そして今年もまた、行列と神旗争奪戦に参加した。

「このあたりには『野馬追基準』って言葉があって、仕事の納期も『野馬追まで』と決めたり、野馬追がいろいろなことの区切りになるんですよ。その感覚はとり戻せたけど、宵乗りの日(初日の土曜日)に馬で出陣できないから、震災前とは疲れ方が違うし、まだ変な感じがするなあ」と蒔田さん。

「これがなかったら、この地区にいない」

 小高郷(南相馬市小高区)と標葉郷(浪江町・双葉町・大熊町)の騎馬武者たちは、自宅が原発から20キロ圏内の旧警戒区域にあるため、今も避難先で生活している。5つの郷のうち、ほかの3つ――北郷(南相馬市鹿島区)、宇多郷(相馬市)、中ノ郷(南相馬市原町区)の騎馬武者たちは、初日も馬に乗って出陣したが、小高郷と標葉郷の騎馬武者たちは徒歩で雲雀ヶ原祭場地に集結した。

 規模としては震災前の通常開催に戻りつつあっても、侍たちの実感としては、まだまだ復興にはほど遠い。

 蒔田さんと同じ小高郷の侍で、20歳のときから57歳になった今年まで、2年休んだ以外は毎年参加している今村忠一さんはこう話す。

「野馬追は私たちの生き甲斐で、楽しみはこれしかない。これがなかったら、この地区にいないと思います。震災前は2頭の馬を飼っていたのですが、自宅に戻れるようになったら、また馬と一緒に暮らします。ここはそういう特別な街なんです」

 今村さんと息子の一史さんと蒔田さんは、同じ栃木の乗馬クラブから馬を借りて出陣した。

【次ページ】 友人の家の厩舎に馬を置き、そこから出陣。

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