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「僕と一緒に野球をやらないかい」
新庄剛志に巨人軍がかけた電話。 

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photograph byHideki Sugiyama

posted2015/05/14 11:00

「僕と一緒に野球をやらないかい」新庄剛志に巨人軍がかけた電話。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

ニューヨーク・メッツ入団時、「やっと自分に合った環境が見つかりました」と会見で語っていた新庄氏だが、その実はどうだったのか……。

メッツ時代の新たな新庄伝説とは?

 新たな新庄伝説も披露してくれた。例えばメッツに移籍し、レギュラー獲得の記念に両親を招待したとき。球場まで高速を車で走りながら、父親とこんな会話をしていたという。

「高速道路を封鎖して球団の車しか通れないようにするんですが、その様子に親父はすごく感動してました。そしたら『剛志、あのビル覚えとうや?』って言い出して。何かと思ったら、『お前、一緒に映画観に行ったろうが。あそこからゴリラが落ちたろうが』って。『ああ! キングコングが撃たれてたビルってこれか』と、その時はじめて知りました(笑)」

 もちろんこの建物の名称は、エンパイア・ステート・ビルである。

 日本人初のワールドシリーズ出場など、日本での事前の予想をはるかに上回る結果を残した3年間のメジャーでの戦いを終えた新庄氏は2004年、北海道に移転した日本ハムファイターズで日本球界に復帰する。実はこの時、真っ先にアプローチをしてきたのはあの球団だった。だがそれも、意外な理由で立ち消えとなったという。

「『僕と一緒に野球をやらないかい?』って巨人のある方から電話を頂いた。でも、メジャー帰りで巨人はちょっとベタかなと思って」

およそ1時間半に渡る取材中ずっとこの調子で、語られるエピソードは
新庄節のオンパレード。見た目だけでなく、話す雰囲気も、
現役時代と何ら変わりはなかった。
だが決して、メジャーリーグでプレーしていた3年間は
楽しいことばかりではなかったとも語った。英語もなかなか喋れない。
日本人ということで差別も受けた。そんなアメリカでの日々を新庄氏は、
どう彼らしく笑顔で過ごしていたのだろうか。
そしていまバリ島でどんな暮らしをしているのか。
果たして球界への電撃復帰はあるのか!

新庄伝説満載の本編「オレが活躍できないわけがない」はNumber877号でお楽しみください。
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