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あなたは前田長吉を知っていますか?
戦争に奪われた騎手の数奇な運命。 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph bySadanao Maeda

posted2015/04/25 10:50

あなたは前田長吉を知っていますか?戦争に奪われた騎手の数奇な運命。<Number Web> photograph by Sadanao Maeda

師の尾形藤吉は、「もしも戦争がなければ、保田隆芳や野平祐二と肩を並べる騎手になったかもしれない」とその才能を惜しんだという。

東京競馬場で、前田長吉に会える。

 あのときと同じ感覚を、もうすぐまた味わうことができる。それも、八戸ではなく東京競馬場で。どういうことかというと――。

 4月25日(土)から6月28日(日)まで、東京競馬場にある競馬博物館の特別展示室で、特別展「伝説の騎手・前田長吉の生涯」が行なわれ、彼の遺品などが展示されるのだ。

 彼の生家の物置で見つかり、その後、兄の孫の前田貞直さんの家で大切に保管されている貴重なものばかりだ。

 前述した鞭や長靴、鉛チョッキ、拍車、彼の写真のほか、家族に宛てた直筆の手紙や、関西出張中にクリフジの栗林友二オーナーから受けとった手紙、クリフジでダービーやオークスを勝ったときの賞状、騎手講習証書、騎手任状、徴兵検査修了証……など、40点近い資料が展示される。

 これまで、八戸のデパートや、十和田市馬事公苑の称徳館などでも遺品展が行なわれたことはあるが、これほどの規模で展示されるのは初めてのことだ。

「第二の故郷」に、遺品がはじめて帰ってくる。

 また、東京競馬場で催される、ということにも、実は大きな意味がある。というのは、長吉は、府中に外厩(競馬場の敷地外に調教師や馬主が持つ厩舎)と内厩に厩舎を構えていた尾形藤吉元調教師の門下生だった。つまり、府中で生活していた彼にとって、東京競馬場は「第二の故郷」であり、そこに遺品が初めて「帰郷」するのである。

 彼が使っていた鞭の柄や、鉛チョッキのポケットに入れる鉛のプレートには、「前田」と彫られている。彼自身がそうしたのだと思われる。そのほか、手紙の文面などからも、几帳面な性格がしのばれる。

 私は、2006年初夏に行なわれた長吉の遺骨の返還式から取材を始め、少しずつ明らかになってきた彼の足跡を『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年、白夜書房)にまとめ、さらにノンフィクションノベルという形式で、『虹の断片(かけら)』(2014年、産経新聞出版)に、長吉少年が家出同然に上京して尾形厩舎の下乗り(騎手見習)になり、ダービーを勝ち、恋をして、出征し、シベリアで強制労働に従事させられ世を去るまでを書いた。

 気がつけば、足かけ10年にわたって、前田貞直さんをはじめとする長吉の親族や、尾形厩舎の兄弟子だった保田隆芳元騎手(日本にモンキー乗りをひろめた人物)などの関係者を取材してきた。

 大の長吉ファンであり、いつの間にか「前田長吉評論家」になっていた私にとって、今回の特別展開催は、感極まるものがある(大変な思いをしたのは、JRAの担当者と競馬博物館の学芸員なのだが)。

【次ページ】 前田長吉が観戦する、今年のダービー。

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