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森友哉・清宮幸太郎が好球必打な訳。
イチローと古田敦也が作った「時代」。 

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小関順二

小関順二Junji Koseki

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2015/04/25 10:40

森友哉・清宮幸太郎が好球必打な訳。イチローと古田敦也が作った「時代」。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

“高校入学の時点で鳴り物入り”という異例の前評判の中、春季東京大会でデビューした早稲田実・清宮幸太郎。184cm、97kgという巨躯に秘められた可能性や如何に。

王貞治の時代と、古田敦也&イチローの時代。

 プロ野球通算868本という破天荒なホームラン記録を持つ王貞治(元巨人、現福岡ソフトバンクホークス取締役会長)は、全盛期の1960年代前半~70年代後半、ファーストストライクを見逃すことが多かった。投手の調子を計る、あるいは力量を計るという狙いがあったのだと思うが、「強打者は初球からガツガツ打っていかず鷹揚に投手に対し、不利なカウントになっても攻略する」という様式美が当時は球界に存在した。

 しかし、'90年代に古田敦也(元ヤクルト)が登場し、配球に革命が起こった。それまで、投手の最もいい球は「決め球」として大事に取って置かれた。打者を追い込んでここぞというときに勝負球を使う、配球にそんな思想があった。しかし、古田は勝負球を早い段階から要求して投手有利のカウントを整え、再度勝負球を要求して打者を打ち取るという攻撃的スタイルを確立したのだ。

 ヤクルトの投手に故障が多いのは古田のそういうリードのためだと言う人もいたが、'92~'01年までの10年間、ヤクルトにリーグ優勝5回、日本一4回をもたらした最大の功労者は古田だと確実に言える。

 好球必打が大声でもてはやされるようになったのはイチローが出現した'94年からで、これは古田の全盛期とちょうど重なる。攻撃的配球に対抗するには打者も攻撃的にならざるを得ない、そんなバッテリー(投手&捕手)vs.バッターの勝負の構造が、古田とイチロー以降に明確になった。

高校野球界では、大阪桐蔭が好球必打を徹底している。

 ファーストストライクを積極的に打っていくスタイルを選手獲得の目安にしているのが高校野球界に君臨する大阪桐蔭である。西谷浩一監督はNumber832号掲載「スラッガー養成校の謎を追え」の中で、選手の何を見るのかという問いに「1球目から振っていける選手かどうか、という点です。ボールを見て、見て、という子はどうしても時間がかかる」と答えている。実際、大阪桐蔭の選手たちは4強に進出した今選抜でも好球必打を実践していた。

 大阪桐蔭OBのプロ野球界での活躍も、そうした時代の変化の証左だろう。プロ5年目の2013年、浅村栄斗(西武)は自身初の打点王(110打点)を獲得しているが、この年初球打ちが112打数もあった。この年、初球打ちが3ケタの選手は他に外国人のマートンがいただけで(108打数)、以下長野久義(巨人)85、坂本勇人(巨人)82と続いている。浅村の好球必打ぶりがよくわかる。

【次ページ】 清宮の最終的な評価は、甲子園を経てから。

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