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野球選手の頭に機関銃???
“グローバルリーグ”仰天顛末記。 

text by

小関順二

小関順二Junji Koseki

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2015/02/26 10:30

野球選手の頭に機関銃???“グローバルリーグ”仰天顛末記。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

グローバルリーグから帰国して会見する東京ドラゴンズ・森徹監督。プロ野球から縁遠くなった選手とアマチュアから成るチームは、過酷な状況をくぐり抜け、今こそ顧みられるべき成績を残したのだった。

日本プロ野球OBクラブ理事長・森徹が亡くなったのは昨年初春のこと。
彼の悲願のひとつが、今から46年前に潰えた世界規模の野球リーグ、
「グローバルリーグ」の復権であった。

前回コラムでお伝えした記事の最後のシーン、
「リーグからの送金が途絶え、ホテルに軟禁される日本人選手たち」
の続きを、後編ではお伝えしたいと思います。

 グローバルリーグ以前の海外遠征は、球団創設間もない巨人によって行なわれている。1935(昭和10)年2月14日に日本を出発、マイナーリーグ相手とはいえ128日間で109試合を戦い75勝33敗1分け、翌36年の第二次遠征は89日間で76試合を戦い、やはり42勝33敗1分けという好成績を残している。

 6年後に日系人の収容所が開設されるような逆風の中でも巨人は米国で人気があった。草創期の日米交流に尽力した功績が認められ'68年に野球殿堂入りした鈴木惣太郎は「日米親善野球戦」という文章の中で、「私共のチームはほんとうにアメリカ人に好かれました。彼等に私共日本人の持つ美しい性格の多少でも、認めてもらう事が出来たとすれば、倶楽部創立の目的の一つである日米親善に資する所が少なくないと信じます」と、この第一次アメリカ遠征を回想している。

リーグの初戦には2万5000人の観客が押し寄せた!

 '69(昭和44)年のアメリカ、ベネズエラを舞台にしたリーグ戦に、東京ドラゴンズの一員として参加した福井勉は「巨人の第二次アメリカ遠征以来、33年ぶりに行なわれた単独チームによる海外遠征だと思うんですよ」と言う。グローバルリーグとプロ野球はまったく繋がりがないが、東京ドラゴンズに在籍した25人中17人が日本の球団に所属していたことを考えれば、私もプロ野球史上3例目の海外遠征と位置づけてもいいと思う。そして巨人同様、東京ドラゴンズは海外で人気があった。

 '69年4月24日、ベネズエラのカラカス球場で行なわれたグローバルリーグの開幕ゲーム、ベネズエラ・オイラーズ対東京ドラゴンズ戦には、最大収容人数2万8000人の球場に2万5000人の野球ファンが押し寄せた。第2戦も同程度の大観衆がつめかけ、第3戦はテレビ中継もされた。しかし、観客の入りがよかったのはベネズエラ対日本戦だけで、アメリカやプエルトリコの球場では閑古鳥が鳴いていた。野球人気の高い極東で興行を打って活路を開く、という発想がこのあたりから生まれてくる。

【次ページ】 東京ドラゴンズのチームカラーは「ケンカ野球」!?

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