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ボクシング殿堂入りが決定。具志堅用高の偉大さとは。
~「沖縄」を背負った13度の防衛~ 

text by

前田衷

前田衷Makoto Maeda

PROFILE

photograph byKYODO

posted2015/02/03 10:00

独特のアフロヘアーで「カンムリワシ」の異名を持ち、軽量級離れした豪打を武器にした。

独特のアフロヘアーで「カンムリワシ」の異名を持ち、軽量級離れした豪打を武器にした。

 具志堅用高が故・大場政夫とともに国際ボクシング殿堂入りを果たした。日本人ボクサーとしては'95年のファイティング原田以来実に20年ぶりとなる朗報である。原田氏は「モダーン」部門だったが、具志堅・大場両氏は「オールドタイマー」部門での殿堂入りである。

 このニュースを一般紙はスポーツ面の片隅に掲載したが、具志堅さんの郷里の県紙、沖縄タイムスと琉球新報は当然ながら一面に写真入りで伝えた上、スポーツ面、社会面にも関連記事に大きく紙面を割いている。タイムスは後日さらに全面4頁の「祝殿堂入り特集号」を発行する念の入りようだった。

 今の具志堅さんは、若い人にとってはバラエティ番組でよく見るとぼけたキャラクターのタレントであり、元ボクシングのチャンピオンだったと知らない人もいる。4年前に井岡一翔が世界王座に就いた試合を放映したテレビ局は、試合がKOで終ったため、余りの時間を埋めるため予め用意した具志堅特集を流したところかなりの反響があったという。「あんなに凄いボクサーとは知らなかった」という感想を随分聞かされたものである。

「チャンピオンになった時のようにうれしい」

 沖縄が本土復帰を果たして4年後の'76年10月10日、プロ9戦目で世界J・フライ級王者フアン・グスマンに衝撃的なKO勝ちで王座獲得。その後に続く13度王座防衛は今なお日本人世界王者の記録として輝く。ボクサーとして偉大だっただけではない。沖縄の生んだ初めての世界チャンピオンとして否応なしに「沖縄」を背負って戦った。全国のボクシングファンを感動させつつ、沖縄の人々に何度カタルシスをもたらしたことだろう。今振り返ると、具志堅用高の出現は日本初の世界王者・白井義男同様に、時代の要請だったと思えてならない。

 今回新たに殿堂入りした具志堅さんやリディック・ボウ、ナジーム・ハメドら元スーパースターを迎えての「就任式(インダクション)」が6月第2週にニューヨーク州の片田舎カナストータにある「国際ボクシング名誉の殿堂博物館」で催される。セレモニーでは、すでに殿堂入りしている何十人もの元王者らも同席し、具志堅さんらを祝福する。殿堂入りの報に「チャンピオンになった時のようにうれしい」と語った具志堅さんだが、その喜びのクライマックスを味わうことになるに違いない。

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