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日本ハム通訳に就任した野茂貴裕氏。
父の背中に感じた「やり通せ」。 

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byKei Nakamura

posted2015/01/30 10:30

日本ハム通訳に就任した野茂貴裕氏。父の背中に感じた「やり通せ」。<Number Web> photograph by Kei Nakamura

日本ハムの通訳に1月から就任した野茂貴裕氏。偉大な父・英雄氏の存在ゆえに周囲から特別視されることにも「慣れてます」と笑う姿は頼もしい限りだ。

言われたというより、父の背中を見て感じていました。

――そもそもお父様のご記憶はどのあたりからあるのでしょう。

 アメリカへ渡ったときは、まだ3歳だったので覚えていません。小学校4年、5年ごろ、(ニューヨーク)メッツやミルウォーキー(ブリュワーズ)でプレーしたあたりから覚えています。夏休みはいつも2カ月ぐらい、アメリカへ行っていたので、ホームで試合があるときは応援に行っていました。

――小さい頃から、そうしてお父様の姿を見てきて、もっとも教えられたことは何でしょう。

 う~ん……。やっぱり、一度決めたらやり通せ、ということですかね。言われたというより、父の背中を見て感じていました。父もあんまりしゃべらない方なので。

草野球で「野茂です」とあいさつしたら……。

――インターナショナルスクールということは、もちろん授業は英語なわけですよね。

 はい。ほとんど外国人なので。教科書も英語です。

――その割には日本語もまったく違和感がありませんね。

 うちでは日本語だったので。

――大学ではどのような勉強をしていたのですか。

 スポーツマネージメントを専攻していました。ですので、2年生の終わりごろから、ゆくゆくは球団経営に携わるような仕事をしたいなと思っていました。

――アメリカに残ることも考えたのですか。

 少し考えましたけど、そこまでは……。

――でも、いずれはメジャーの球団で働きたいと。

 今は、ぜんぜん。目の前のことで、いっぱいいっぱいなので。

――今はもうまったく野球はしないのですか。

 アメリカでは休みの日はだいたい草野球をしていました。日本人で駐在している方などが集まっているリーグで。

――そういう場所で「野茂です」とあいさつしたら……。

 まあ、もう、慣れてますので(笑)。いつも「普通に接してください」と言っていました。

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