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<孤高の横綱の告白> 白鵬翔 「日本国と相撲道と私」 

text by

佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

PROFILE

photograph byKazuhiro Kitahara

posted2014/12/31 11:30

九州場所で32回目の優勝を果たした目は、涙で滲んでいた。
直後のインタビューでは敬慕する大鵬や相撲文化を守った明治天皇、
果ては大久保利通への感謝をも述べた横綱の、深意はどこにあるのか。
冬巡業の支度部屋で、現役最強の男がその重い口を開いた。

 2014年11月、満員御礼の九州場所千秋楽。大歓声のなかで32度目の優勝を果たした横綱は、唇を震わせ、溢れ出る涙をぬぐっていた。優勝インタビューでは、まずは敬慕する元横綱大鵬への想いをモンゴル語で母国に伝えた。さらに大相撲文化を守った明治天皇、明治維新の元勲大久保利通の名前を口にし、天皇陛下への感謝の言葉をも述べる姿があった。白鵬の言葉の深意と、その心境を探る。

 場所後の冬巡業での、支度部屋。昼寝から目覚めた横綱が、床山に髷(まげ)をくしけずられながら、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

「あの時は泣かないつもりだったんだけど、いろいろとこみ上げるものがあったんです。ついにここまで来たか、と――」

32回目の優勝後、脳裏に浮かんだ元横綱・大鵬の顔。

 角界の父と仰ぎ見ていた元横綱大鵬、故納谷幸喜氏の顔が脳裏に浮かんだ。'10年九州場所のこと。かつて双葉山のもつ未踏の69連勝に挑んだ白鵬は、すがるように昭和の大横綱の言葉を求めたことがあった。

「こんな大記録を私が抜いていいんでしょうか、とね。悩むというか、やっぱりいろいろな声が上がりますから。大鵬親方は、『われわれも挑戦してきたが、叶わなかった。記録というものは破られるためにあるものだ。堂々と頑張れ』と言ってくださった。あの時は63連勝で終わりましたけど、それを思い出し、約束を果たせて恩返しができた。ホッとした気持ちがあったんです」

 そして同時に、輝く天皇賜杯を目の前に、まるで悪夢の中にいた「哀しい優勝」をも思い起こし、その涙は止まらなかった。

「あの名古屋場所、きつかったなぁ……って」

 '10年7月、相撲界の賭博問題が明るみに出た名古屋場所。日本相撲協会は優勝賜杯授与を自粛し、すべての表彰も辞退。NHKによる中継も中止された場所となった。3場所連続全勝、15度目の優勝を果たして脂が乗り切っていた白鵬は、わずか8分ほどの簡素な表彰式で優勝旗と表彰状だけを受け取った。顔をくしゃくしゃにゆがめ、号泣しながら――。「この国の横綱として、力士の代表として、賜杯だけはいただきたかった」と、土俵を下りてもなお、涙をにじませていた。「この時の優勝は、うれしくもなかったなぁ」と、今再びつぶやく。32度目の優勝で見せた涙は、この日以来に流したものでもあった。

【次ページ】 震災と八百長問題で、引退を考えたこともあった。

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