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<Doインタビュー> スコット・ジュレクは「僕にとって走ることは自分を探検することなんだ」と笑顔で語ってくれた。 

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近藤篤

近藤篤Atsushi Kondo

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photograph byAtsushi Kondo

posted2014/12/18 10:00

<Doインタビュー> スコット・ジュレクは「僕にとって走ることは自分を探検することなんだ」と笑顔で語ってくれた。<Number Web> photograph by Atsushi Kondo
数々のレースに勝利してきたウルトラマラソン界の“行ける伝説”にして、
完全菜食主義者としても有名な41歳。彼はどのようにして肉体的、
精神的困難を乗り越え、痛みを抱きかかえ、長い距離を走り続けてきたのか。
優しく響くその言葉に耳を傾けていると、
走るという行為の本質が見えてきたような気がする。

好評発売中の雑誌Number Do『ハワイを走ろう』より、
スコット・ジュレクに迫ったロングインタビューの一部を公開します!

 9月中旬、昼下がりの日比谷。ウルトラマラソン界の“生ける伝説”は、待ち合わせ時間の10分前に現れた。身長は188cm、ブルックス社製の青いTシャツに包まれた胸板はかなりがっしりとしている。コンニチハ。伝説の人は柔和な微笑みを口元に湛え、静かな口調で挨拶の言葉を交わす。

 インタビューを始める前に、少しだけ撮影のために走ってもらえますか?

 スコット・ジュレクはトレーニングパンツを脱いでショーツ姿になると、ランニング用のシューズに履き替える。青いヘアバンドをつけ、カメラマン(つまり僕だ)のリクエストにこたえ、何度も何度も真剣な眼差しで、公園内の小道を走り、石段を駆け下りる。幅広のストライド、後ろに蹴り上げる膝下は若干外側に開き気味になる。

 15分ほどで撮影は終わり、僕たちは池の畔のベンチに移動する。少し汗をかいたスコット・ジュレクは木製のベンチにどすんと腰を下ろすと、再び元のシューズに履き替え、こちらをまっすぐ向き、僕が口を開く前に言う。じゃあ、走ることについて話しましょうか。そう、今僕もそう言おうとしていたところだ。

200人の小さな町の郊外で育ったジュレクの“特技”。

 スコット・ジュレク、アメリカ人のウルトラマラソン・ランナー。

 1990年、彼は所属する高校のスキー部で、トレーニングの一環として長距離を走り始めた。数年後、このミネソタの片田舎の青年は、ウェスタンステイツ・エンデュランスラン、バッドウォーター、といった著名なレースを片っ端から勝ちまくり、一躍ウルトラマラソン界のスーパースターとなる。

「僕の育ったプロクターの町は人口2000人、おまけに僕の家はその町のさらに郊外。世界の片隅のさらに片隅みたいなところでした。父は元軍人で、とても厳しい人だった。母は僕たち兄弟がまだ小さい頃に、多発性硬化症を患ってしまい、症状は年々重くなってゆく一方でした」

 薪割り、畑の石拾い、洗濯、長男のスコットがやるべきことは毎日山のようにあった。

「どうして自分の世界はこうなんだ、どうして僕だけこうなんだ、そんなことを考えても世界は何も変わらなかったから、僕はひとつの特技を身につけたんです」

 それは、自分がやるべきことを懸命にやることに喜びを見いだすこと、だった。その能力はやがて大いに役に立つことになる。

【次ページ】 初レース後は、もう二度とごめんだと思ったけど……。

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