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メルセデスの優勝を支えた「技術者」。
表彰台に上がったロウ、笑顔の理由。 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byMasahiro Owari

posted2014/10/19 10:50

メルセデスの優勝を支えた「技術者」。表彰台に上がったロウ、笑顔の理由。<Number Web> photograph by Masahiro Owari

ロウは1962年生まれのエンジニアで、1987年からずっとF1界で働いている。今季のメルセデスは、ロシアGPまで16戦中13勝という圧倒的な強さを発揮した。

 ロシアGPの決勝レース前、メルセデスAMGの3人の首脳陣が集まった。

 ひとりはチームの相談役的な存在で、非常勤会長であるニキ・ラウダ。もうひとりはチーム代表的存在でビジネス部門のエグゼクティブディレクターを務めるトト・ウォルフ。そして、最後のひとりはテクニカルディレクター的存在としてテクニカル部門のエグゼクティブディレクターの肩書きを持つパディ・ロウだった。

 そこでラウダとウォルフは、ロウにこんな提案をした。

「今日のレースで我々が優勝したら、君がコンストラクター代表として表彰台に上がってほしい」

 それを聞いたロウは、その提案が持つ意味の重みを感じるとともに、自らのF1キャリアを振り返り、しばし感慨に耽った。それはこの日、メルセデスAMGが25点を獲得すれば、2014年のコンストラクターズ選手権の制覇が決定するからだった。

 メルセデスAMGにとって、コンストラクターズタイトルは前身であるメルセデスGPとしてF1に参戦した2010年から5年目にして手にする初栄冠であるとともに、メルセデスの長い歴史の中でも初めて獲得するタイトルだったからである。

コンストラクターズ選手権が登場したのは、1958年。

 メルセデスがF1に初めて参戦したのは、1954年。アルゼンチン人のファン・マヌエル・ファンジオを擁して、いきなりチャンピオンに輝いた。その翌年もドライバーズ選手権を制したメルセデスだが、当時のF1にはコンストラクターズ選手権がまだ存在していなかった。

 F1にコンストラクターズ選手権が登場するのは1958年。しかし、メルセデスはそれを待たずして、F1から撤退していた。'55年のル・マンで、クラッシュしたメルセデスのマシンが観客席に飛び込み、多数の犠牲者を出してしまったからである。

 現在のチームは当時のメルセデスとは違って、本拠地がドイツではなくイギリスのブラックリーにある。パワーユニットを製造しているのも、イギリス・ブリックスワースにあるメルセデスAMGハイパフォーマンス・パワートレーンズ(HPP)である。しかし、その両者に開発資金を注入しているのはメルセデスであり、政治的な決定がドイツで行なわれていることに変わりはない。

【次ページ】 ラウダが改革したチームの切り札、ロウ。

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