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“死のゾーン”脱出の臨場感。これぞ著者の代表作。
~沢木耕太郎・著『凍』~ 

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馬立勝

馬立勝Masaru Madate

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posted2014/10/01 10:00

“死のゾーン”脱出の臨場感。これぞ著者の代表作。~沢木耕太郎・著『凍』~<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

『凍』沢木耕太郎著 新潮文庫 590円+税

 スポーツに素材を求めた著者の作品中のベストが本書だろう。

 世界的クライマーの山野井泰史・妙子夫妻のヒマラヤの難峰ギャチュンカン北壁の登頂とその下山中に猛烈な風雪と雪崩に捉えられた絶望的な状況からの奇跡的な、そして感動的な生還記だ。

 ほとんど垂直な岩と氷の壁、酸素濃度は平地の3分の1で、氷点下の厳寒の地。標高7000mを超える高所は登山家たちから“死のゾーン”と呼ばれる。ここで二人は吹雪に飛ばされ、雪崩に巻き込まれ、装具の一部を失い、食糧も尽きてしまう。幅10cmほどの岩棚に身を寄せ合ってビバークし、以前の登山の凍傷で手足の指を失っている妙子は落下し、一度は離れ離れになり、再会し“死のゾーン”から脱出、生還する。二人はここでも凍傷になりさらに手足の指を失うことになる。

『凍』の表題を著者は「闘」に通じるから選んだという。二人の氷壁での9日間の闘いを追う5章から8章がクライマックスだ。氷の壁に張り付き、足場をえぐり、一歩、一歩降る脚の動きから、ロープを結ぶ作業やヘッドランプの電池交換まで、すべての動きをクローズアップ描写でとらえて生まれた臨場感と迫力。

互いを補い、命がけで登山する山野井夫婦の結びつき。

 登攀行に加え、読む者をつかんで離さないのは、夫妻の結びつきだ。泰史は手記『垂直の記憶』(ヤマケイ文庫)の中で、普通の家庭と違うのは、「二人とも生死をとても身近に感じていることだ」と書いている。素晴らしい岩壁を美しいラインで登ることにこだわる泰史。ソロ・クライマー歴も年齢も上で、いつも落ち着いていて控えめながら、時に場面をさらう妙子。名利を追わず、自分の責任で、互いに補いながら命がけの登山を続ける、戦友のような二人のカッコよさ。「感動するのは、彼らが真の意味で自由であるからだ」(池澤夏樹の解説)

 読後、ヘミングウェイの短編のエピグラフが浮かんだ。アフリカ最高峰キリマンジャロの山頂に凍りつくヒョウの死体。「これほどの高峰でヒョウが何を求めていたのか、説明できた者は一人もいない」。どうやら日本には夫婦のヒョウがいるようだ……と。

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