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原辰徳が貫いてきた、
父親譲りの野球哲学。
~“勝負師”の遺志を継いで~ 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

PROFILE

photograph byNIKKAN SPORTS

posted2014/06/18 10:00

原辰徳が貫いてきた、父親譲りの野球哲学。~“勝負師”の遺志を継いで~<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

 6月8日、巨人が58日ぶりの首位に立った。開幕前の下馬評は圧倒的に優位で、抱える戦力の規模からすれば「苦戦」が続いていたわけだが、その原因の一つは明らかに先発陣の不振にある。

 開幕早々に宮國椋丞が二軍行きを命じられたかと思うと、大竹寛、杉内俊哉の「FA組」も精彩を欠いている。投手陣の精神的支柱となるべき内海哲也にいたっては、5月末にようやく今季初勝利を挙げたものの、その翌週「左肩痛」で出場選手登録を抹消されてしまった。当初構想にあった「六本柱」のうち、計算が立つのは菅野智之のみという状況だ。

 原監督の父、貢氏が相模原市内の病院で息を引き取ったのは、そのような苦戦の続く5月29日の夜だった。

「私を待っていたかのようだった」と本人が言ったとおり、原監督が東京ドームでのナイターの楽天戦を終え、病床に到着した5分後のことだったという。

 原監督は折にふれ、“勝負師”と呼ばれた父親の野球を範としてきた。その野球哲学の一つが、「選手を競争させ、這い上がって来るのを待つ」ということである。今季も、その影響は色濃くあらわれている。“日替わりオーダー”と称される打線は、阿部慎之助、長野久義、村田修一といったチームの核となる選手といえども打順を固定せず、あくまで調子の良し悪しで入れ替えを繰り返す。

思い切って将来を見据えた我慢の起用を続けるのも手だ。

 この手法は確かにヒーローを生みやすい。原監督の打者の調子を見る眼力はしっかりしているだけに、6月6日の西武戦、延長10回に代打でサヨナラ打を放った横川史学のように、調子さえよければ脚光を浴びるチャンスが用意されている。

 しかしその反面、調子に波があるのが当たり前のこの世界で、働き場所を固定されないことのツラさもあるのではないか。原監督は「1番と4番がはっきりしていないから、こういう形になる」と言うが、長野のように2番と4番以外の全打順を任されるのも酷な話ではある。

 ある巨人OBは「この戦力なら、スタメンを固定すれば必ず首位に立てる」と言っていた。ベテラン組の調子が上がらないなら、思い切って将来を見据えた我慢の起用を続けるのも手だ。折しも、投手陣には小山雄輝、今村信貴とイキの良い若手が現れた。原監督の野球が今後どう変貌を遂げるか、見届けたい。

◇   ◇   ◇

<急逝を悼む>
さようなら永谷脩さん。

野球と酒と友と家族をこよなく愛し愛されてきた気骨のライター、
永谷脩さんが亡くなった。駆け抜けたその68年の人生に乾杯。

「カタログみたいな雑誌じゃなくて、現場の匂いとか“人間”が読み手に伝わってくるような、泥臭いページを作ってくれよなあ……」

 小誌連載コラム「SCORE CARD」の「BASEBALL」筆者、スポーツライターの永谷脩さんが6月12日早朝、急性骨髄性白血病のため、68歳で逝去されました。

 小誌にとっては、1982年の59号で江川卓選手の記事をお願いして以来、野球特集を中心に、実に32年に渡って共に走り続けて下さった、最高の「同志」であり「師匠」でした。

江夏豊さんの「たった一人の引退式」が象徴する情熱。

 そんな永谷さんのプロフェッショナリズムの象徴が、'85年1月19日、東京・多摩市の一本杉球場で行なわれた江夏豊さんの「たった一人の引退式」でした。「あれだけの大投手が誰にも見送られずにユニフォームを脱ぐのは絶対におかしい」。文字通り“たった一人”で動き始めた永谷さんの情熱が、最終的に2万人以上のファンがかけつける前代未聞の“手作り”の引退試合を実現させたのです。

 その情熱が、王貞治さんをはじめとする多くのトップ選手たちに心を開かせたのです。

 今春に白血病の治療のために入院された後も、小誌コラムは一度も休むことなく書き続けてこられました。体調が優れず“口述筆記”の原稿が届くこともあったのですが、残念ながら遺稿になってしまった今号は、永谷さん独特のクセ字で綴られた手書き原稿が届きました。周囲が無理をするなと言っても、「自分の手で書くんだ」と譲らなかったそうです。

 原稿をFAXで送信する際、永谷さんは必ずひと言、上書きにメッセージを書き添えてくれました。亡くなる2日前に届いたその原稿の上書きにはこう記されていました。

「W杯の間にぜひなおして、現場の声を聞いていきます。まだまだ体は大丈夫です!」

 最後の最後まで「現場」と「肉声」にこだわり続けた書き手――永谷脩さんのご冥福をお祈りいたします。

ナンバー編集長 松井一晃

photograph by Hideki Sugiyama

永谷脩 Osamu Nagatani
1946年4月5日、東京都生まれ。青山学院大から小学館に入社し、後にフリーとして独立。王貞治、権藤博、東尾修、山田久志ら名選手・名監督から裏方まで、球界関係者と広く深い交遊を結び、現場主義に徹した取材で数多くの著書を執筆した。2014年6月12日、永眠。享年68。

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