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負傷のリスクより誠実さを貫いて――。
長谷部誠、最終節で強行出場の裏側。
 

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ミムラユウスケ

ミムラユウスケYusuke Mimura

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photograph byPicture Alliance/AFLO

posted2014/05/14 10:40

負傷のリスクより誠実さを貫いて――。長谷部誠、最終節で強行出場の裏側。<Number Web> photograph by Picture Alliance/AFLO

10日の最終節でシャルケに敗れ、自動降格圏を脱することができなかったニュルンベルク。長谷部誠は清武弘嗣とともに退団が確実視されている。

「このチームで戦うことも自分には大事だから」

「2月のときも(チームの練習に復帰してから)途中までは状態が良くて。痛みがないから急激に(練習の量と強度を)上げて、それでまた新しい傷がついてしまったので。少しずつやっていかないと、また受傷してしまうので……」

 もちろん、大一番を前にチームが守備陣のレギュラーのうち3人が同時に出場停止になるという危機的な状況に陥っていたことも、長谷部がリスクを背負って試合に出た理由の一つだ。

 ただし――。

 長谷部はこう語っている。

「もちろん、W杯というのは重要なところだと、僕にとっても大きなところだと思いますけど、このチームで戦うことも自分には大事だから。そこをおろそかにしたら、人間として自分は納得しない」

 決して資金力に恵まれたわけではないニュルンベルクが、移籍金を払って自分を獲得してくれた。そして、シーズンの後半戦では最終節のシャルケ戦まで1試合も出場していなかった。期待を受けてチームにやってきた以上は、何もしないわけにはいかないのだ。

当初は“フル出場はない”という条件だったが……。

 実際、怪我の状況もあり試合前には“フル出場をすることはない”という条件が長谷部とプリンツェン監督との間で確認されていた。しかし、試合中に2人も負傷退場を余儀なくされたことで、予定は変更され長谷部は最後までピッチの上で戦うことになった。

 もう4年以上も前のことになるだろうか。長谷部はこう語っていた。

「親に誠に生きろと言われたことがあって、それだけはいつも意識しているかな」

 自分には怪我が再発するリスクがある。けれど、チームは上昇のためのキーマンとして自分を獲得してくれたわけで、サッカー選手としてその思いに応えないわけにはいかなかった。誠実にその思いに応えようとしたのだ。

 例えば4月末のこと。ニュルンベルクからは「チームの練習に完全に合流できるようになるまで、日本でリハビリを続けてかまわない」と言われていた。しかしシーズン残り3試合となった4月26日のマインツ戦前日に、長谷部はチームからの要請を受けて、急きょドイツへ戻ってきた。

 フェルベーク監督が解任され、シーズンの最後の3試合限定で指揮を執ることになったプリンツェンはその理由をこう話していた。

【次ページ】 「ハセベはチームを助けてくれる存在だからだ」

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