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白鵬が怖いのは「自分にないもの」。
新横綱・鶴竜の“日本語と人品”。 

text by

藤島大

藤島大Dai Fujishima

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photograph byAFLO SPORT

posted2014/05/08 16:30

白鵬が怖いのは「自分にないもの」。新横綱・鶴竜の“日本語と人品”。<Number Web> photograph by AFLO SPORT

横綱として初めて臨む五月場所は、11日に始まる。白鵬、日馬富士、そして鶴竜の横綱3人体制での新時代が幕を開ける。

鶴竜が発する「一生懸命」の本当さ。

 3月26日、横綱昇進を伝える使者への口上はこうだ。

「横綱の名を汚さぬよう一生懸命努力します」。4月24日の夏場所番付発表では「身が引き締まる思い」と会見で述べている。なんと当たり前の言い回しだろう。そのへんの人が口にしたら投げやりで平凡だ。でも横綱なら陳腐にならない。鶴竜が発する「一生懸命」は本当に「一生懸命」なのだ。入門時の65kgから155kgまで増えた身は、きっと、きゅっと引き締まっていた。

 鶴竜の父は「モンゴル国立科学技術大学の電力エンジニアスクールの学長」(Montsame=国営通信社)である。母は、もともと「ラジオ通信エンジニア」(同)だった。こうした背景はどうしても「インテリの息子」というストーリーを形成する。みずから入門を請う手紙をしたため、英語とロシア語をよく理解し、日本の新聞を読むのを日課としている……。「文武にともに長ける」も、また庶民の願望のひとつだ。

 もうひとつ新横綱のストーリーに「努力の開花」がある。優勝は昇進直前のいっぺんのみ、しばらくは、俗に「クンロク=9勝6敗」の星取りの目につく大関でもあった。じんわり鍛練と研究を続け、ここにきて、いきなり成就した。圧倒的成績でないのに綱取りが滑らかだった事実には、きれいな日本語を話す努力家という「人品」の評価も潜在的に含まれていたはずだ。

白鵬とは異質、別の斜面を登ったおもむき。

 では鶴竜の相撲そのものはどうか。そこには一過性でない地力が充満している。引き技を多用するも、足腰の粘りつく強靭が、効果を担保している。先に仕掛け、いなす。その強みを「横綱相撲」のイメージにとらわれて封印しては惜しい。動いて突き、前後左右を仕留めのスペースとする。口ぐせの「自分の相撲」が、単線でなしに、相手の取り口に対応する「自在」と離れていないところに可能性は広がる。

 頂点に立つ者、いまなら、安泰の横綱、白鵬は、おのれの範疇に収まる強さなら、それがどんなに頑丈であれ気にならない。わずかであれこわいのは「自分にないもの」だ。鶴竜は、母国でのバックグラウンドも、入門後の歩みの速度も異質だ。同じモンゴル出身なのに別の斜面を登ったおもむきもなくはない。だから好敵手の資格がある。

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