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雪合戦の専門誌を立ち上げた理由。
~『雪マガ』第4号発売に寄せて~ 

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中村計

中村計Kei Nakamura

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posted2011/01/20 06:00

雪合戦の専門誌を立ち上げた理由。~『雪マガ』第4号発売に寄せて~<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

『雪合戦マガジン』 発行:NPO法人雪合戦インターナショナル 第4号は1月20日発売予定 定価700円

 雪マガ――。関係者は、短縮してそう呼ぶ。世界で唯一の雪合戦専門誌、『雪合戦マガジン』のことである。

 発行部数は、約1500部。実売は、1200部前後だ。当然、毎年赤字。それでも、何を血迷い続けているのか、今年も第4号を出すことになった。ちなみに刊行は年1回、「年刊誌」だ。年明け、雑誌ができ次第、販売を開始する。我々スタッフも、そこを月刊誌や季刊誌にしないぐらいには十分に冷静なのだ。

 スタッフといっても、編集長兼ライター兼カメラマンの私と、雪合戦仲間であり、デザイナーでもある山田夫妻(雅志、由記)2人の計3人。編集部と呼ぶには、あまりにも軽量かつコンパクトである。

 そもそも私が、不覚にも雪合戦に足をとられたのは、忘れもしない、2001年冬、『週刊プレイボーイ』の取材がきっかけだった。記事タイトルは〈男なら、熱投雪合戦!〉。ご推察の通り、突撃系の取材で、東北随一の豪雪地帯で雪合戦が盛んな岩手県西和賀町を訪れた。

雪合戦は、北海道壮瞥町で1989年に生まれたスポーツだ。

 こんな競技に真剣になっている人たちがおもしろかったし、何よりも競技そのものが実にエキサイティングだった。雪合戦はいってみれば、公然のケンカ。夕方、寒風にさらされ、カチンカチンに凍った雪球は、まさに「凶器」だった(大きな大会になれば、雪球ケースを覆うカバーもあるし、雪球をつくったあとすぐに試合をするのでそのようなことはない)。それを1セットあたり90球、7人の選手同士で思い切りぶつけ合うのだ。この血湧き肉躍る緊張感は、軽く鬱屈していた当時の私にとって、ちょうどいい人生のカンフル剤となった。

 雪合戦は、北海道壮瞥町で1989年に生まれたスポーツだ。「巨大たこ焼き器」のような鋳物の雪球製造器もあれば、アシックス社製の専用ヘルメットも、国際ルールもちゃんとある。

 私が始めたころはすでに誕生から10年以上経っていた。だが、地方の小さな大会は、そのときもまだ「知ってたもん勝ち」だった。つまり、7人の選手をコートのどこに配置し、どう戦うのかという常道を知っているチームが強かった。

 このマイナー感を早く払拭したかった。そのためには、紙媒体で全国に効率よく情報を広める必要があると考えた。そうして、2007年、雪合戦界最高峰の「昭和新山国際雪合戦」の大会プログラムと合冊する形でまずは見本誌をつくった。前年の優勝チームのルポや、初歩的な技術系の記事を載せた。

毎号豪華な巻頭インタビュー。次号は斎藤佑樹を予定!?

 紙代や印刷代は大会サイドが負担してくれたが、カメラマンやデザイナーへのギャラは自己負担。もちろん、編集費も原稿料もタダだ。だが、そんな金銭面よりも、作業にとられる時間の方が深刻だった。抱えていた書籍の刊行が2カ月も遅れ、さすがにまずいと思い、創刊は断念しかけていた。だが、大会関係者の熱い要望、ある程度まで制作費も負担するという犠牲精神にほだされ、翌年ついに創刊してしまった。「ついに」というよりは「つい」か。

 超マイナー誌だが、巻頭インタビューだけはいつも自慢できる。創刊号は「北海道つながり」で、駒大苫小牧高校を2年連続全国優勝に導いた元野球部監督、香田誉士史氏。2号も同じ理由で、北海道日本ハムの稲葉篤紀選手。そして4号は「マイナースポーツつながり(雪合戦と同列にされるのは嫌だろうけど)」ということで、ビーチバレーの浅尾美和選手だ。

 来年はまた「北海道つながり」ということで、斎藤佑樹選手にご登場願えないものだろうか。もちろん、それまで雑誌が存続していればの話だが。

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