SCORE CARDBACK NUMBER

ロビンソンの訃報に思う
“人間風車”の真の魅力。
~日本マット界初の外国人エース~ 

text by

門馬忠雄

門馬忠雄Tadao Monma

PROFILE

photograph byNIKKAN SPORTS

posted2014/04/06 10:30

1968年IWAワールド・シリーズで優勝し、チャンピオンベルトを巻いたビル・ロビンソン。

1968年IWAワールド・シリーズで優勝し、チャンピオンベルトを巻いたビル・ロビンソン。

 早朝の電話は嫌なものだ。

 3月3日、“人間風車”の異名で愛されたビル・ロビンソンの訃報だった。米国のアーカンソー州で心不全のため亡くなったという。75歳だった。

 国際プロレスの担当記者として巡業旅を一緒に回った筆者は同じ歳。仲間を失ったようで切なく、寂しい。

 ロビンソンは産業革命発祥の地マンチェスターの生まれ。“蛇の穴”といわれた名門ビリー・ライレー・ジム出身で、プロレスの神様と呼ばれたカール・ゴッチは兄弟子にあたる。

 '67年、ビリー・ジョイスを破って大英帝国ヘビー級王座を獲得すると、翌年には国際の日英チャンピオン・シリーズに初参戦。190cm、118kgというバランスの取れた肉体を誇った29歳は、ヨーロッパヘビー級王座も保持しており、エルガーの行進曲「威風堂々」よろしく、ネクタイ姿で颯爽たる日本上陸であった。

 秘技“ダブルアーム・スープレックス・ホールド”は、かけられた選手が受身を取れず、何が起きたかわからぬままフォール負けするほどで、観客を唖然とさせた。切り返し技がうまく、関節技もある。反則はしない。英国伝統のしっかりしたレスリング技術のファイト・スタイルは何もかも新鮮に映った。

本当の“人間風車”とは来日当初のロビンソンなのだ。

 その突出した実力で'68年12月、第1回IWAワールド・シリーズで優勝。初代IWA世界ヘビー級王者に認定されている。“ガイジン選手は悪いヤツ”というイメージを覆し、日本のマットで初の外国人エースに立ったことは、ファンの意識を変えた。卓越した技術と洗練されたファイト・スタイルは国際ばかりではなく多くの日本人選手に影響を与えた。

 しかし、新日本、全日本で活躍するようになるとラフなアメリカン・スタイルに感化されて、その魅力が半減されていく。本当の“人間風車”とはあくまでも来日当初の「国際のロビンソン」なのだ。

 晩年は、離婚して息子さんの世話になる独身の身。'08年までUWFスネークピットジャパンのコーチとして後進の指導に当たっていたが、ヒザが悪く、太りすぎで、酒の匂いが絶えなかった。

 さわやかだったロビンソンとのギャップが、ミッキー・ローク主演の映画「レスラー」の切ないラストシーンと重なって見えた――。合掌。

関連コラム

ページトップ