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古巣ニックス“再興”を誓い、
ジャクソンが球団社長に。
~NBA最強の名将、NYに熱狂を~ 

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宮地陽子

宮地陽子Yoko Miyaji

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photograph byGetty Images

posted2014/04/01 10:00

古巣ニックス“再興”を誓い、ジャクソンが球団社長に。~NBA最強の名将、NYに熱狂を~<Number Web> photograph by Getty Images

契約期間は5年。移籍が噂されるチームの中心選手C・アンソニーの動向にも影響ありか。

「お帰りなさい、フィル」

 記者会見場に飾られたパネルには、ニューヨーク・ニックスのユニフォームを着たフィル・ジャクソンの写真とともに、まるで、長く旅に出ていた息子を迎えるような言葉が添えられていた。ジャクソンがニックスの一員だったのは、かれこれ35年以上前のことだ。

 現役引退後、コーチに転身したジャクソンは、シカゴとロサンゼルスの地で計11回のNBA優勝という偉業を達成し、名将と呼ばれるようになった。そして今回、再びニューヨークに戻ってきた。

 もっとも、今回、ニックスでの肩書はヘッドコーチではなく球団社長。自ら選んだ、第3のキャリアだ。

 ジャクソンにとってニューヨークは、始まりの地であり、勝つためのやり方を学んだ場所でもあった。ジャクソンの恩師で、'60年代から'70年代の黄金期ニックスを率いていた故レッド・ホルツマン・コーチは、後に殿堂入りする多くのスター選手たちに自己犠牲を説き、チームで戦うことを教え、彼らを2度の優勝に導いている。選手としては脇役だったジャクソンは、そのスタイルこそが当時のニックスの強さの土台にあることを、誰よりもわかっていた。

「常に一丸」だった黄金期の文化と誇りを取り戻す。

 かつての名門ニックスも、近年は混迷が続いていた。特にこの十数年は方向性も一貫性もなく、豊富な財源にまかせて大型補強をしながら噛み合わず、有能なGMもオーナーの口出しに辟易して離れていった。熱烈なファンも、復活しないチームにしびれを切らしていた。

 そんな古巣を助けたいという思いが、ジャクソンをニューヨークに引き戻した。気まぐれなオーナーから、チーム人事の全権委任という条件を引き出した。ノスタルジックな思いとともに、自分のやり方で難関に挑み、解決したいという自負もあった。

「'60年代のこのチームは、常に一丸となって戦っていた。そういう文化を育てたい」

 とジャクソンは言う。

 21歳でニックスにドラフト指名されたジャクソンが初めてニューヨークにやってきたとき、空港に迎えに来てくれたホルツマンから言われた言葉があった。

「ニューヨークの地で生きていくことは簡単ではない。でも、もしここで成功できれば、他のどこででもやっていける」

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