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障害も震災も力に変えて。
挫けぬ18歳、ソチの舞台へ。
~パラリンピックに挑む阿部友里香~ 

text by

日比野恭三

日比野恭三Kyozo Hibino

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photograph byHitachi Solutions,Ltd.

posted2014/02/26 06:15

障害も震災も力に変えて。挫けぬ18歳、ソチの舞台へ。~パラリンピックに挑む阿部友里香~<Number Web> photograph by Hitachi Solutions,Ltd.

右手だけでストックを操り、雪上を滑走する阿部。ソチは高校3年間の集大成の場になる。

 ソチ五輪の閉幕から2週間後の3月7日、パラリンピックが幕を開ける。クロスカントリースキーとバイアスロンに出場する阿部友里香は、岩手県山田町生まれの18歳。20名の日本選手団で唯一の被災地出身者だ。

 阿部は出生時、左腕に障害を負った。肩の神経が傷つき、動かすことはほとんどできない。当然、少女の日常生活には不便さもつきまとったが、幼い頃の記憶をたどる言葉は意外なほど明るい。

「小学校低学年の時に手術をしたんですけど、クラスの友達が寄せ書きを用意してくれて。それがすごくうれしかった」

 小学校でバレーボールを始め、「全然苦ではありませんでした」。腕を駆使する競技に挑戦し、虜になる。阿部が生来もつポジティブさの証だろう。

 その旺盛な好奇心に火をつけたのが4年前のバンクーバー大会だった。ストック1本で雪上を走る姿をテレビで見て、中学2年生だった阿部は「私にもできる」と直感。日本障害者スポーツ協会に「やってみたい」とメールを送り、中3の冬には代表チームの合宿に誘われるまま参加した。競技としてのスキー経験は一切なく、「一歩、二歩進んでは転ぶような状態」からのスタートだった。

ソチで迎える3年目の「3・11」で、元気な姿を。

 その合宿から約3カ月後――。東日本大震災が発生し、山田町は甚大な被害を受けた。阿部の自宅も津波に流された。

 地元の山田高校へ通い、バレーとスキーのトレーニングを両立させるつもりだったが、被災で図らずも再考の機会が与えられた。阿部の決断は、スキー強豪校で、被災生徒の受け入れ先にもなっていた盛岡南高校への進路変更だった。

「もし震災がなければ、スキーを本格的にやるのはもっと遅くなっていた」

 震災に背中を押され、強豪スキー部へ。経験は浅い。障害もある。慣れない下宿生活。壁はいくつもあったが、阿部は挫けなかった。ただただ前進するうち、全てのハンデは限りなくゼロに近づく。昨季の世界選手権で入賞を果たし、ついにソチの代表入り。その結果に自分でも「まさか」と驚いたのは、彼女の直線的なひたむきさの表れではないだろうか。

 ソチで迎える、3年目の「3・11」。

「入賞したいけど、世界はそんなに甘くない。元気な姿を見せたいと思います」

 地元の人々もそれを望んでいるはずだ。

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