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<ソチ五輪で初代王者へ> 高梨沙羅 「女子ジャンプの歴史を背負って」 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph byShino Seki

posted2014/01/24 06:15

<ソチ五輪で初代王者へ> 高梨沙羅 「女子ジャンプの歴史を背負って」<Number Web> photograph by Shino Seki

インターナショナルスクールで発揮した類希な集中力。

 中学を卒業後、高梨は旭川市内にある「グレースマウンテンインターナショナルスクール」に進学した。数々の海外遠征の中で英語の重要性を感じたことから、英語教育で定評のある同スクールを選んだという。

 そこにも高梨の着実さが感じられるが、驚くべきは、その後のことだ。入学して4カ月後の8月28日、高校卒業程度認定試験に合格したのである。この試験は、高等学校を卒業した者と同等以上の学力があるかどうかを認定するための試験である。合格者には大学・短大・専門学校の受験資格が与えられる。

 このインターナショナルスクールは、卒業しても大学を受験する資格は得られないために必要だった資格だが、わずか4カ月で高校3年間で習得すべき学業のレベルに達したことを意味する。

 しかも、入学してから試験のあった8月の初旬まで毎日学校に通うことができたわけではない。遠征に出ている日も少なからずある中で合格したのである。

「朝5時半に家を出て、1日11時間くらい勉強しました」

「11月にも試験があったから、8月に落ちた教科はそこで受けようと思っていたのに、全部受かってしまってびっくりでした」

 自ら驚きを見せつつ、勉強方法について明かした。

「朝の5時半には家を出て始発電車に乗って、電車の中でも勉強をやったりして、1日11時間くらいは勉強していました」

 淡々と語るが、その集中力の高さは、勉強のみならず、練習への姿勢をも支えている。

 金メダル最有力候補と期待が集まる高梨の実力はこういった集中力に支えられている。

選手と関係者の思いに込められた女子ジャンプの歴史。

 世界のトップを争う選手となった高梨は、一歩一歩階段を上がり、オリンピックシーズンを迎えた。いよいよ目の前に、オリンピックが捉えられたのである。

 その晴れ舞台を待っているのは、高梨だけではない。女子の選手や関係者の誰もが、特別な思いをもって、ソチを迎えようとしている。その思いには、女子ジャンプの歴史が込められている。

 実は20年と少し前まで、日本に女子選手は皆無だった。誰一人いなかったのである。

【次ページ】 「子どもができなくなる」と言われた偏見を乗り越えて。

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