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大人がじっくり読める、
山の“居候”の芳醇な思索。
~辻まこと・著『山からの絵本』~ 

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馬立勝

馬立勝Masaru Madate

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posted2014/01/22 06:15

大人がじっくり読める、山の“居候”の芳醇な思索。~辻まこと・著『山からの絵本』~<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

『山からの絵本』辻まこと著 ヤマケイ文庫 1000円+税

 出版されて半世紀近くになる。折に触れて拾い読みをする。単行本の箱は古びたが、造本はしっかり、美しいカラーの絵も色あせていない。

 適当にページを開くと「秋の彷徨」、本書を代表する章だ。鮮やかなオレンジ色の秋の山の夕暮れ、樺の木と隣り合う岩の上に立つ男のシルエット。文章に眼を移す。男は越後から藪漕ぎを続けて上州四万を目指していたが、この岩の上で一夜を明かすと決めた。素っ裸になって笹ダニを始末し、ウィスキーをハンカチに浸して身体を拭き、それから軽くごくり。「何たる愉快」。

 また例えば「けものたち」の章。囲炉裏端でムササビと山宿のおばさんが栗の実の選別をやっている絵。春の嵐で巣から落ちたのを拾っておばさんに預けたムササビの子の1年後だ。「兎」では雪の山道で会った大兎を「猟師の本能が眼ざめ」ステッキで一撃、キノコ入りの「スチュにすると……」と料理法を思うと「罪の重さも一向になんともない」。

暖かくユーモラス、時にはシリアスな山里からの便り。

 山里の人々との交流でも同様だ。暖かく、ユーモラスに、民話のように、またシリアスになったりする山からの便り。絵と文に魅かれて本書続編の『山の声』(東京新聞出版局)、『山で一泊』(創文社)と読み続けていると1975年に作者は亡くなった。広々とした自然の中を一人行く男の絵が多い。山の“居候”へと向かう作者の自画像だったのだ。

 没後、全集、画集、評伝が出版された。山岳雑誌『岳人』の表紙や3冊の画文集の画風からスマートな都会人で、山好きの自由人と想像していた。その人物像を知るには池内紀『見知らぬオトカム』、宇佐見英治『辻まことの思い出』(共にみすず書房)が最適。

 父が評論家の辻潤、母が大杉栄と共に軍部に殺された伊藤野枝、そんなことさえ没後に知った。愛読者として情けないが、本書を前にすると作者・辻まことの名はどうでもいい気もする。文庫化され、いまだに版が重ねられていることがその価値の証明だ。軽いエッセイと見えて、繰り返し読むうちに自然と一体になった深い思索に気づかされる。大人がじっくり読む絵本、芳醇な酒の味わい。

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