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柏木、槙野、森脇、そして西川、李。
浦和の“広島化”の裏にあるもの。 

text by

細江克弥

細江克弥Katsuya Hosoe

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photograph byKenzaburo Matsuoka/AFLO

posted2014/01/18 08:15

柏木、槙野、森脇、そして西川、李。浦和の“広島化”の裏にあるもの。<Number Web> photograph by Kenzaburo Matsuoka/AFLO

広島のJ1連覇、天皇杯準優勝に大きく貢献した西川周作。失点数29は全クラブ中最少。56失点の浦和で、来季はどれだけの結果を残すのだろうか。

 昨季、サンフレッチェ広島のJリーグ連覇に大きく貢献した日本代表GK西川周作は、かねてから噂のあった浦和レッズへの移籍を決意した。これによって加速した「浦和の広島化」が、オフのJリーグを賑わす話題の一つとなっている。

 2010シーズン開幕前、浦和は広島から日本代表にも名を連ねた司令塔・柏木陽介を獲得。当時のチームは、フォルカー・フィンケ体制下でそれまでの堅守速攻型からポゼッション型へのスタイル変更を目指す過渡期にあり、広島でそのスタイルの中心にいた柏木の獲得はまさに的確な補強に見えた。

 しかしフィンケによる抜本的な体質改善には時間がかかり、2010シーズンは10位に低迷。結果を急ぐクラブはシーズン途中にフィンケの解任を決定し、翌2011シーズンにはクラブOBであるゼリコ・ペトロビッチを招聘。ポゼッション型への変化に伴って弱体化した守備を整備すべく、再び堅守速攻型に切り替えてチームに混乱を招いた。夏場にはその責任を取る形で柱谷幸一GMの契約解除が発表され、期待されたペトロビッチ体制は1年も持たずに瓦解することになる。

絶対王者を目指す戦いは、スタイルとの戦いでもあった。

 浦和には、ジレンマがあった。

 Jリーグ草創期に「お荷物」とまで揶揄されたクラブは、熱狂的なサポーターとともにJ2降格の苦境を乗り越え、2006シーズンに初めてJリーグ王者に輝く。翌2007シーズンにはACL(AFCチャンピオンズリーグ)を制し、アジア王者に君臨。しかし黄金期とも言えるこの時代に手にしたタイトルは、強固な守備と一撃必殺のカウンターを武器とする堅守速攻型のスタイルがもたらしたものだった。

 Jリーグの絶対王者になる――。黄金期の継続を目標とした浦和は、次なる発展のバロメーターをスタイルの転換に求めた。王者たるもの、美しく魅力的なサッカーで勝たなければならない。時を同じくして、欧州ではそのスタイルを徹底したバルセロナが黄金時代を迎えようとしていた。

 その理想に基づいて白羽の矢が立てられたのが、ドイツで名将と称される実績を誇っていたフィンケである。フィンケはクラブの要望に応えようとポゼッション型へのスタイル転換と若手の育成に努めた。しかし王者のプライドを保つために時間の猶予はなく、フィンケからペトロビッチへの指揮官交代に伴うスタイル変更を巡る姿勢は二転三転し、結果的には混乱を招いて崩壊した。

【次ページ】 ペトロビッチの招聘が、全ての始まりだった。

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