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<THE DAY 2010> 上村愛子 「もう一つの夢をかなえた日」 ~9月26日:皆川賢太郎との挙式を終えて~ 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph byShino Seki

posted2010/12/09 00:00

<THE DAY 2010> 上村愛子 「もう一つの夢をかなえた日」 ~9月26日:皆川賢太郎との挙式を終えて~<Number Web> photograph by Shino Seki

 暗くなった場内に、スポットライトの光が走る。白の、美しいウェディングドレス姿で現れた彼女は、あの日とは対照的な、晴れやかな笑顔だった。

 7カ月前の、涙とともに語られた言葉は、今も忘れられない。

「私はなんで一段一段なんだろう」

 願いがかなわなかった直後、上村愛子の口をついて出たその言葉には、十数年の時間の重みがこめられているようであった。

 4度目のオリンピック出場となるバンクーバー五輪は、今度こそ悲願を達成する場となるはずだった。高校3年生で初めて出場した長野五輪は7位。それからメダルを目標に戦い続けたが、続く2大会は6位と5位。何かが足りなくて届かなかったメダルを、今度こそ手にするはずだった。前々シーズンにワールドカップ年間チャンピオン、前シーズンには世界選手権優勝。かつてないほど実績を積み重ねて臨んだ大会でもあった。

 だが結果は、4位。

 思わず、上村は「なんで」と口にした。日々、この日のために費やしてきたのだ。無理もない。

五輪4連続入賞は、10年を超えて第一線で活躍し続けてきた証。

 あれから7カ月。

 昨年6月に入籍し、バンクーバー五輪の戦いが終わるのを待ってようやく皆川賢太郎との挙式を終えた翌日の9月26日、上村はこのうえもない笑顔で披露宴の会場に登場した。

 500人をゆうに越える出席者の並ぶ会場は、4時間の宴の間、暖かな空気に包まれた。あちこちで旧交を温める人たちがいた。見知らぬ者同士がなごやかに会話を弾ませていた。

 二人が用意した映像を楽しんだ。挙式の模様に見入り、当人たちによる馴れ初めの再現ドラマに笑った。今季は、日本にスキーが伝来して100年。往年の名選手からこれからを担う若手まで紹介する映像には、多くの人に担われてきたスキー界への二人の感謝の気持ちが込められていた。

 聞けば、手作りの感覚にこだわったという。会場の空気は、彼女たちの人柄を反映していた。

 4度目のオリンピックは4位と、メダルには届かなかった。しかし思えば、4大会連続入賞は、10年を超えて第一線で活躍し続けてきたスキーヤーの、真摯に歩んできた証である。

 晴れの舞台に席を同じくした人々の祝福に満ちた眼差し、「スキーヤー上村愛子」を称えるスピーチもまた、その証明のようであった。

上村愛子(うえむらあいこ)

1979年12月9日生まれ、長野県出身。'98年の長野五輪以来4大会連続五輪出場。今年のバンクーバー五輪では自身初のメダルが期待されたが、惜しくも4位。昨年、アルペンスキーヤーの皆川賢太郎と入籍を発表した

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