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桧山進次郎が歩む、幸福な花道。
功労者の送り方が球団の未来を作る。 

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byNanae Suzuki

posted2013/09/18 10:30

桧山進次郎が歩む、幸福な花道。功労者の送り方が球団の未来を作る。<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

♪この一打に賭けろ 気合で振りぬけよ~♪で始まる、桧山の応援歌。球界でも屈指の知名度を誇るこの曲が甲子園で聴けるのは今年で最後になってしまった。

 功労者の花道。それをいかに演出するかは、球団の腕の見せ所である。

 今季でいえば、阪神の桧山進次郎の場合は、選手と球団、双方にとってじつに幸福な形だったように思う。

 球団は桧山が熟考する時間を十分に与え、桧山もそんな球団の配慮をくみ取り自ら退く時期を悟った。

 実は、桧山には苦い記憶がある。

 2007年オフのことだ。2シーズン連続して打率1割台と低迷。齢38。いつ戦力外通告を受けてもおかしくない条件は整っていた。

 ただ、その形が問題だった。

 2007年10月14日。その日、ナゴヤドームで行われていたクライマックスシリーズ第1ステージの第2戦で阪神は前日に続き中日に敗戦。'07年の戦いを終えた。

 その晩、桧山はホテルにほど近いコンビニへ出かけたときに顔なじみのスポーツ紙記者につかまった。聞けば、翌日の朝刊で、自分の解雇が決定的になったという記事を載せるというのだ。記者いわく、球団上層部から聞いた確かな話だという。

 その瞬間、桧山はあまりの衝撃に「めまいがした」という。解雇されることについては実力の世界だから仕方がない。だからそのことに衝撃を受けたのではなく、自分に知らされる前に記者が知っていたということがショックだったのだ。

阪神一筋16年の名選手が、一睡もできず電話を待つ。

 桧山はそこまで阪神一筋で16年間もやってきた。

 4番も任された。

 もし、本当に球団が首を切るつもりだったのなら、メディアに漏れる前に相応の身分の人間が、相応の言葉で伝えるべきだろう。

 その晩、桧山はほとんど一睡もできなかった。そして翌日、9時前に家に戻り、ひたすら電話を待った。

 いずれにせよ、午前中に球団から何らかの電話があると思ったのだ。

【次ページ】 桧山ほどの選手の引退手順を間違えると……。

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