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<ドラフト名司会者への追憶> パンチョ伊東の秘密。 

text by

吉川達郎

吉川達郎Tatsuro Kikkawa

PROFILE

photograph byKazuhito Yamada

posted2010/10/26 06:00

<ドラフト名司会者への追憶> パンチョ伊東の秘密。<Number Web> photograph by Kazuhito Yamada

25年間に呼び上げた指名選手は1991人にものぼった。

 闘病生活は長引いた。途中、千葉県市川市内の病院に転院。その後、再び慶応病院に戻ってくる頃には、イチローの2年目のシーズンもスタートしていた。7月。アメリカの独立記念日に伊東さんは彼岸へと旅立った。その年の暮れ、伊東さんが眠る東京・西巣鴨の法福寺を、イチローが人知れずこっそりと訪れたことを、後日人づてに聞かされた。伊東さんはさぞ喜んでいたと思う。最後のドラフト司会でイチローの名を呼び上げたことを、あれだけ自慢していたのだから……。

 初めて司会を務めた1967年、南海1位指名の藤原真(慶大)に始まり、最後のドラフトとなった1991年のダイエー10位指名、田畑一也(元北陸銀行)まで、25年間に伊東さんが呼び上げた指名選手は1991人(プロ入り拒否した選手も含む)にものぼる。その大半の選手、経歴を晩年まで忘れなかった記憶力もまた、余人には真似できない驚異的な能力であったことを、最後に付け加えておく。

「第1回選択希望選手……」

 あの懐かしい声は、いつまでも野球ファンの脳裏から消えないはずだ。

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パンチョ伊東

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