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ファーガソンの正統的後継者として。
名将とモイーズ監督をつなぐ“血脈”。 

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鈴木英寿

鈴木英寿Hidetoshi Suzuki

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posted2013/05/14 11:45

ファーガソンの正統的後継者として。名将とモイーズ監督をつなぐ“血脈”。<Number Web> photograph by AFLO

プレミアリーグにおいて、ファーガソン(27年間)とベンゲル(17年間継続中)に次いで、同一クラブで3番目に長く(エバートンで11年間)監督を務めていたモイーズ。

 マンチェスター・ユナイテッドは、サー・アレックス・ファーガソンの後任として「特別な男(The Special One)」モウリーニョではなく、デイビッド・モイーズを選択した。なぜ、彼が選ばれたのだろうか。果たして、その実像は――英国メディアから「選ばれし者(The Chosen One)」と呼ばれるモイーズの原点に迫ると、英国サッカー界に地下水のように流れる、ある“血脈”に行きつく。

 スコットランド最大の都市グラスゴーは、セルティックとレンジャーズという2つのビッグクラブで有名だ。前者は中村俊輔がプレーしたことで日本のファンにもおなじみで、後者は経営難により4部に降格したことで昨年話題になった。

 グラスゴーの北西に位置するイースト・ダンバートンシャーで生まれたモイーズは、セルティックでプロ生活をスタートしている。ポジションはセンターバックだった。

 セルティックでキャリアを始めたのは15歳の時。実はこの前の段階から、指導者として成長する際に重要な役割を果たす、見逃せない結びつきが生まれている。モイーズはそれまでスコットランド屈指のアマチュアクラブ、ドラムチャペル・アマチュアズで指導を受けていたのだが、このクラブが生み出した最も有名なOBがサー・アレックス・ファーガソンだったのだ。

アマチュアクラブ時代のモイーズについての証言。

 ドラムチャペルの幹部、ジミー・ウッズはこう証言する。

「デイビッド(・モイーズ)がセルティックに入団する子供の頃から、彼が良い指導者になるだろうってことは分かっていたよ。彼の父親もフットボールの指導者だったしね」

 セルティックではリーグ優勝に貢献したものの、実働は3年と短く、その後はイングランドやスコットランドの下部リーグを渡り歩いた。選手としては目立った経歴の持ち主ではない。

 だが、ファーガソンと同じクラブの出身という出自、そしてセルティック時代に選出されたスコットランドU-18代表監督がアンディ・ロクスバーだったことが、指導者モイーズを形成する萌芽となった。

 ロクスバーは後にスコットランド代表監督を務め、1990年イタリア・ワールドカップ出場とEURO1992出場に導いた実績がある。それ以上に重要なのは、彼がUEFA技術委員長、FIFA技術委員会メンバーを歴任した、欧州指導者界を動かすキーパーソンとなったことだ。

 グラスゴーの地元記者は、私にこう証言してくれた。

「ファーガソンやモイーズ、ロクスバーはスコットランド人だが、もっと正確に言えば『グラスゴー』の人間だということだ。スコットランドの優れた指導者はほとんどが、グラスゴー人脈なんだ」

 モイーズはグラスゴー近郊。そして、ファーガソンとロクスバーはグラスゴー出身。さらに、マンチェスター・ユナイテッドの第一期黄金時代を築いた伝説の名将、サー・マット・バスビーもグラスゴー近郊の都市ベルズヒル出身である。

 事実、英国指導者界の“ゴッドファーザー”と呼ばれているファーガソンは、いまだにグラスゴーサッカー界に影響を与え、“ファミリー”を形成しているのだ。

【次ページ】 モイーズに目をかけたのは、当然の成り行きだった!?

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