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山下智茂・星稜総監督が初めて明かす、「松井5連続敬遠」の痛恨。~<'92年夏2回戦>星稜vs.明徳義塾~ 

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石黒謙吾

石黒謙吾Kengo Ishiguro

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photograph byKeita Yasukawa

posted2010/08/10 06:00

山下智茂・星稜総監督が初めて明かす、「松井5連続敬遠」の痛恨。~<'92年夏2回戦>星稜vs.明徳義塾~<Number Web> photograph by Keita Yasukawa
'92年夏、超高校級スラッガーを育て、日本一を狙って甲子園に乗り込んだ
星稜・山下監督。だが、明徳義塾の徹底した敬遠策で、松井のバットは封じられ、大望は叶わなかった。
無念さを抱えながらも、18年間、沈黙してきた闘将が、重い口を開き、初めて“痛恨の一日”を振り返った。

「このゲームだけは、スコア見たくないねえ。敬遠と(投げ込まれた)メガホンと、それしか頭にないな、試合の印象はね」

 目の前に差し出されたスコアブックに一瞬視線を落とし、星稜高校の山下智茂総監督は唸るようにそう言った。

 筆者は31年前に星稜高校を卒業して以来、母校が甲子園で戦った40試合全てをスコアブックにつけている。いつもは空白になっている備考欄に記された「校歌中、帰れコール!!」の殴り書きが、あの時の喧騒を蘇らせる。

 1992年8月16日に行なわれた星稜対明徳義塾の一戦。星稜4番の松井秀喜は、5打席連続で敬遠され、一度もバットを振らせてもらえぬまま、甲子園を去った。

 日本中で賛否両論が巻き起こったあの暑い日から18年経った。だが、'67年に監督に就任後、夏14回、春11回、星稜を甲子園に導いた名将は、これまでこの一戦について決して語ろうとしなかった。今回も、取材は受けてくれたものの、最初のうちは当然というべきか、口が重かった。

「言えないわ、本音は。勝負師としては……。馬淵(史郎・明徳義塾監督)さんは勝ったからいいけど、自分は負けた方だからな」

 だが、星稜の学園理事室で膝を突き合わせ、野球部の昔話をしているうちに、ポツリポツリとあの“痛恨の一日”を語り始めてくれた。

松井3年の夏、選手も監督も当然のように頂点を狙っていた。

「今まで、日本一を狙いに行ったのは、小松(辰雄)がいた時と、あの夏の2回。松井と山口(哲治)が入学した時から、松井を4番にして打の柱を作り、投手は山口を軸にして、全国制覇するぞと決意し、練習に励みました」

 入学時から4番に座った松井は、1年の夏に早くも甲子園に出場するが、初戦敗退。この悔しさをバネにして猛練習に打ち込み、2年の夏はベスト4入り。3年の春にはベスト8に進出し、迎えた最後の夏。選手も監督も当然のように頂点を狙っていた。

 初戦は長岡向陵を11対0で下し、松井のバットも振れていた。明徳戦の前日も、選手たちに緊張はなく、普段どおり過ごしていた。

「前夜のミーティングでは『勝てば上のほうにいけるぞ』とか、松井には『ランナーおる時は敬遠あるからな』とか言った程度ですよ」

 試合前、馬淵監督が練習を偵察に訪れていたのだが、それにもまったく気づいていない。

【次ページ】 山下監督が出した結論は、明徳に「4点取れば勝つ」。

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