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<語り継がれる天才ライダー> 「ノリック、転ぶな!」~阿部典史、2つの鈴鹿グランプリ~ 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph byVEGA INTERNATIONAL

posted2013/03/18 06:00

<語り継がれる天才ライダー> 「ノリック、転ぶな!」~阿部典史、2つの鈴鹿グランプリ~<Number Web> photograph by VEGA INTERNATIONAL
生涯で残した成績を振り返ると、突出して速いライダーではなかった。
だが、彼のレースを思い出すとき、その印象は鮮烈としか言いようがない。
'90年代半ば、ノリックは紛れもなくレース界のスーパースターだった。
ファンに驚きと感動をもたらした'94年と'96年の鈴鹿のレースを
関係者の証言とともに再現する。

 空前にして、絶後――。

 国内で開催されたグランプリ最高峰クラスのレースで、観客が総立ちになって拳を突き上げるなど、後にも先にも見たことがない。視線を一点に集めた先に、ヘルメットから後ろ髪をなびかせた日本人ライダーがいた。

 ノリックこと、阿部典史。

 '90年代のバイクシーンを、熱狂の色に染めた一人だ。とりわけ'94年と'96年の日本グランプリは、ノリックの、ノリックによる、ノリックのためのレースだった。

 彼はなぜファンの支持を一身に集め、時代の寵児となり得たのか。

 まずは、'94年4月24日の鈴鹿サーキットに時を移してみたい。ロードレース世界選手権の最高峰500ccクラス、世界デビュー戦となったレースで、弱冠18歳のノリックは大げさではなく進退を賭けていた。

型落ちのバイクで繰り広げた最強のライダー達との熾烈なバトル。

「あれは世界中に衝撃を与えたんですよ」

 柔らかな口調で、モータースポーツジャーナリストの遠藤智が記憶の糸をたどる。

「ワイルドカードで走って、ミック・ドゥーハンやケビン・シュワンツといった最強のライダーと熾烈なバトルを繰り広げた。あの2人の前を日本人ライダーが走るなんて誰が予想できたか。ましてやノリのバイクは型落ちだったんですよ」

 ノリックは前年に全日本の500ccクラスを史上最年少で制覇しており、日本GPには開催地枠でのスポット参戦が認められていた。すでにバブルは弾け、国内のレース環境はじり貧に。ノリックのチャンピオン獲得を最後に同クラスは廃止され、500ccのライダーは国内で戦う場所を失っていた。

 このチャンスを生かしたい――。そんな焦りが、心中うず巻いていただろう。

「GPの500って、本当に実力がなければ乗れない。いかにもオマケで出てますみたいな顔で、ピットをもらえずテントの下で作業して。ゼッケンもたしか大きな番号だった。でも、ノリは野心を燃やしていたんです」

【次ページ】 4周目で「アイツ、本物だよ」と鈴鹿を騒然とさせた。

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