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F1史に燦然と輝く南ア・グランプリ。
サッカーW杯とF1の意外な接点とは? 

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西山平夫

西山平夫Hirao Nishiyama

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photograph byAP/AFLO

posted2010/07/02 10:30

F1史に燦然と輝く南ア・グランプリ。サッカーW杯とF1の意外な接点とは?<Number Web> photograph by AP/AFLO

1960年代からF1グランプリを開催していた南アフリカのキャラミ・サーキット。写真は第2回南アGPとなる1968年。優勝したのはスコットランド出身のジム・クラーク。この4カ月後にドイツGPで帰らぬ人となった、F1史において不世出の天才ドライバーである

 いまW杯決勝トーナメントが戦われている南アフリカ共和国は、1962年から1993年まで非連続ながら23回もF1グランプリを開催していた国である。開催地は最初の3回はイーストロンドン、1967年からは行政府プレトリア近くの商業都市キャラミ郊外のキャラミ・サーキットだった。

 筆者も南アフリカ・グランプリを取材しに行ったことがある。初訪問は1992年で、マンセルがウイリアムズ・ルノーでマクラーレン・ホンダのセナを完膚なきまでに撃破したレースだった。翌年はプロストがそのマンセルのシートを奪い、非力なフォード・エンジンで健闘するセナ、これを追う気鋭のシューマッハーと三つ巴の戦いを展開。結局プロストが貫禄で2人を下したレースだった。いずれもシーズン開幕戦(3月)で、'92年のマンセルはここから開幕5連勝という記録を作ったことでも覚えている人も多いのではないかと思う。

海抜1000mに位置していたキャラミ・サーキット。

 キャラミ・サーキットは海抜1000m級の高地とあって空気が薄く、ターボ(過給装置)装着が許可されていた時代はターボマシン圧勝だった。1983年にルノー・ターボを駆って初チャンピオン確実だったプロストを、最終戦でブラバムBMWのピケとパトレーゼが抜群のチームプレイで翻弄し、ピケが逆転王座に就いたのはいまも語り草だ。シーズン最後のグランプリだけに、緊張感もまた格別のものがあったという。

 キャラミにはローデシア国籍のジョン・ラヴというアマチュア“名物”ドライバーがおり、'60~'70年代はスポット参戦が許されていた。南アフリカGPには初開催から9回連続出場している。しょせんお下がりのプライベートマシンゆえ勝つ心配などまったくなかったが、その道一筋というものは恐ろしいもので、1967年にあわや優勝寸前の2位を獲得している。F1出走9戦で2位1回のみという微笑ましい記録を残している。

とにかく日本から遠かった! 南アGPの印象。

 世界中を巡るF1の取材の中でも、南アに行くというのはとにかく遠かったという記憶がある。1992年の春といえば南アフリカとの国交が再開したばかりで日本からの直行便もなかった。まず中華航空で台湾に飛んで9時間のトランジットをする。たっぷり故宮博物院を見学した後、スプリングボク(ラグビーで有名な黒い跳ね鹿のマークの)航空機で赤道下を12時間ほどナイトフライト。途中、確かマダガスカル島に短時間寄ったような気がする。

 初めて見たキャラミの土地は、青空と白雲と乾いた空気と細い樹木とモダンビルとその間にうずくまる旧いレンガの建物で構成されていて、なぜかメルボルンを連想させた。要はモントリオールやブエノスアイレスといったヨーロッパ殖民都市の典型的風景そのもので、だからこそ、1960年代初頭からF1グランプリを呼べる受け皿となったのだろう。

 レンタカー、ホテルチェーンなどもヨーロッパとまったく同じ。ただし一見平和そうでも治安は悪く、同じ飛行機で南アに着いた日本人カメラマンがぶらりとホテルを出て、撮影がてらの散歩に近くの公園を横切ったら、数人の黒人にボカスカ殴られ身包みはがされてしまった。

【次ページ】 「ウチの前で人が撃ち殺されましてねぇ」と談笑する。

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