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フランクフルトを救った弱小メーカー。
ブンデスで躍進する「JAKO」の正体。 

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木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

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photograph byItaru Chiba

posted2012/11/17 08:00

フランクフルトを救った弱小メーカー。ブンデスで躍進する「JAKO」の正体。<Number Web> photograph by Itaru Chiba

スポーツメーカー「JAKO」のユニフォームを着てピッチに向かうフランクフルトの乾貴士。JAKOはブンデスリーガ以外にも、ベルギーやオーストリアなど様々な国のチームと契約を結んでいる。ナショナルチームでは、ヨルダン、ルクセンブルク、モルドバが使用。

JAKOのロゴは、起業から10年でドイツ1部のピッチに。

 当初JAKOは、ドイツのアマチュアクラブを製品販売のメインターゲットにしていた。家族経営の無名メーカーが食い込むには、そういう地味な舞台しかなかったのだ。

 だが、'90年代に入るとチャンスが訪れる。アディダス、プーマ、ナイキがトップクラブのみと契約する“集中投資”の戦略を取ったため、2部のクラブがトップメーカーと契約を結べないという現象が起こった。

 その業界の隙間に、シュプリューゲル社長は目をつけた。2部のクラブにスポンサー契約を持ちかけて次第に知名度を上げていき、1999年にフライブルクと契約を結び、初めてJAKOのロゴが1部のピッチに立った。アディダスとプーマという巨大スポーツメーカーのお膝元のリーグで、たった10年で食い込んだのだから快挙と言っていい。

財政難に苦しむフランクフルトに手を差し伸べたJAKO。

 そしてJAKOはさらにリスクを冒して勝負していく。

 2003年夏、フランクフルトは1部に昇格したものの、その1年前に財政難のためにクラブライセンスが剥奪される一歩手前に追い込まれており、多くのスポンサーが離れていた。フランクフルトはアディダス、プーマ、ナイキに話を持ちかけたものの丁重に断られた。業界の巨人たちにとって、火中の栗を拾う必要などない。

 そのとき手を差し伸べたのがJAKOだった。フランクフルトは財政的にも危機を脱し、今では4万人以上の観客を集める人気クラブとして完全復活した。

 キッカー誌によれば、のちにフランクフルトの元に、他のトップメーカーからスポンサー契約のオファーが舞い込んだ。2010年のことだ。だが、フランクフルトのヘリベルト・ブルフハーゲン会長は、こんなコメントとともにJAKOとの契約を延長することを発表した。

「フランクフルトがどん底にいて、ナイフの刃の上に立たされていたとき、誰も私たちに関心を持たなかった。だが、シュプリューゲル社長は手を差し伸べ、私たちを困難から救ってくれた。他の会社が年間10万ユーロ(約1000万円)多く払ったとしても、私たちはパートナーを変えない」

【次ページ】 今後、どのクラブのパートナーになるのかが注目。

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