日本代表、2014年ブラジルへBACK NUMBER

<特別インタビュー>
2度の地獄を味わった21歳の若武者、
FC東京・米本拓司の復活ロード。 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph byToshiya Kondo

posted2012/09/22 08:01

<特別インタビュー>2度の地獄を味わった21歳の若武者、FC東京・米本拓司の復活ロード。<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

FC東京では今季半ばからほとんどスタメン出場を果たしており、ケガのブランクを感じさせないセンスあるプレーを再び見せつけている。

目標のA代表に向けて「一歩ずつ階段を上がっていく」。

 長期の目標はというと「A代表入り」になる。「代表を目指すのは選手として当然」と語るが「ブラジルW杯までに1回は入っておきたい」とまだまだ現実的に捉えていない。ザックジャパンの試合を観ても「お客さんの目線でしか見ていない」そうだ。

 だがこれには、先を見過ぎないという意味も込められている。

 米本は言う。

「大きなケガを繰り返してきたこともあるし、今は目の前にあるものをひとつひとつクリアしていきたい。まず、ケガをしないで試合に出る。その次に試合に出続ける。それが自分のやるべきことです。

 今の自分はJリーグでズバ抜けているわけでも何でもない。だからFC東京で絶対的な存在になることを考えて、そこを目指していきたい。先々を見過ぎないで、現実をしっかりと受け止めて一歩ずつ階段を上がっていけたらいい。そう思っています」

地獄から這い上がってきた男が長谷部の座を脅かす!

 もうワンランク上の選手となるための課題をひとつ挙げるとすれば?

 そう聞くと、米本は「つなぎのパス」と即答した。

「中村憲剛さんのプレーは、嫌なタイミングでシンプルに縦に入れてきたりしてくるんで、凄く参考になります。海外だったらEURO2012のときのイタリアのデロッシですかね。守備ができて、パスをつなげられるスーパーな選手だと思うし、自分もそういうのを感じながら上を目指していきたい」

 ブラジルW杯まであと2年ある。

 ザックジャパンのメンバーが固定されていることに対する是非はともかく、下の世代の突き上げがないとチームが活性化しないことも事実である。長谷部の座を脅かす若手が出てくれば、競争が面白くなってくるというものだ。同僚で評価を上げている高橋の存在も、米本にとっていい刺激となるだろう。

 地獄から這い上がってきた男は強い。

 米本は一歩一歩、確実に復活ロードを歩んでいく。

米本拓司(よねもとたくじ)

1990年12月3日、兵庫県生まれ。伊丹高校卒業後、09年にFC東京に入団。高卒ルーキーながらボランチのレギュラーとして活躍。ナビスコカップ決勝では先制点をあげ、MVPとニューヒーロー賞に輝いた。2010年のシーズン前に左膝前十字じん帯損傷で長期離脱し、翌2011年にも同箇所を痛めて戦列を離れた。今年3月の名古屋戦で復帰し、ロンドン五輪代表のバックアップメンバーにも選ばれた。177㎝、70㎏

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