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<雑草魂、千葉ロッテの中軸に> 角中勝也 「七尾発、高知経由、首位打者行き」 

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中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byMasaru Tatsuki

posted2012/08/27 06:00

<雑草魂、千葉ロッテの中軸に> 角中勝也 「七尾発、高知経由、首位打者行き」<Number Web> photograph by Masaru Tatsuki

高校時代の角中は「透明人間みたいに目立たなかった」。

 角中は日本航空第二高校(現・日本航空石川)時代、石川県内でも準決勝にさえ進んだことがなく、甲子園は遥か遠い存在だった。その頃のコーチで、現在は監督を務める市川雅通が思い起こす。

「スーパー無名ですよ。何にも載ったことない。『野球小僧』もないな。チーム内ですら、透明人間みたいに目立たなかった。バッティングはよかったですけど、正直、プロは厳しいだろうなと思っていました」

 ところが高校を卒業した角中は、四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグス入団1年目に、大学社会人ドラフト7位で千葉ロッテから指名を受ける。5年目の昨年までは頻繁に一軍と二軍を行き来していたが、今季は一時、首位打者に立つなど好調を維持。首位争いをするチームの「5番・レフト」に定着した。

 高校まで「スーパー無名」だった男が、だ。日本球界において、独立リーグ経由でここまで登り詰めた選手は例がない。

 角中の経歴を眺めていると、二つの大きな「なぜ」にぶつかる。

生まれ育ったのは「甲子園に出られたら十分」の奥能登、七尾。

 ひとつ目は、出身地だ。角中は1987年5月25日、「さいはての地」と呼ばれる奥能登、七尾で生まれた。年代的には、ダルビッシュ有(レンジャーズ)の1つ下、田中将大(楽天)の1つ上である。

 同じく七尾出身で、金沢市内の高校に進み、小さい頃からの夢だった甲子園出場を果たしたある人物がこう話していたことがある。

「七尾から金沢の高校に行くだけでも大変なこと。その上、甲子園に出られたら十分ですよ。それ以上先の世界は描けなかった」

 そういう場所で生まれ育った選手が、なぜ、ここまで大きくなれたのか。

【次ページ】 四国IL出身者としてブレークした「なぜ」を解く鍵。

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