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日本、史上最多38個のメダル獲得!
個人競技で光った「チーム力」の結実。 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAsami Enomoto/JMPA

posted2012/08/13 12:50

日本、史上最多38個のメダル獲得!個人競技で光った「チーム力」の結実。<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

アトランタ五輪での“惨敗”をきっかけに変わった日本競泳陣。「一人で立ち向かっても戦えない」という認識のもと、チーム力を高めていく戦略が今回のメダル11個へとつながった。

アトランタ五輪の敗因分析が全ての始まりだった。

 実はそのチーム力は、競泳の場合、たまたま生まれたものではない。前に記したこともあるが、あらためてその足取りを振り返っておきたい。

 競泳は、2000年のシドニー五輪で4個、アテネでは8個、北京でも5個と、メダルを獲得できる競技として定着している。

 以前はそうではなかった。'70年代初頭まではともかく、それ以後はメダルなし、あっても1大会で1つがせいぜいという状況だった。

 転機は、世界上位に位置する選手が数多くそろい、史上最強と称されながらメダルなしに終わった'96年のアトランタ五輪だった。

 惨敗とも言われ、風当たりは強かった。才能ある選手がそろいながら、なぜ結果を残せなかったのか。敗因の分析として浮上したのが、「選手がまとまっていない」ことだった。

「オリンピックのような重圧のかかる場では、一人で立ち向かっても戦えない」

 アトランタ後、ヘッドコーチに就任した現在の競泳委員長・上野広治氏は、当時、こう考えたという。

選手たちが「ともに戦う意識」を積み重ねた末の五輪メダル。

 ではどのようにチーム化を図ったのか。

 ひとつはコーチと選手、コーチ同士などの風通しをよくすることだった。ふだんは国内で競うライバル同士であり、所属クラブもそうだ。その関係を代表ではあらためてもらうように努めたのだ。やがて、レースにおける情報やデータも共有化され、大会の場で得たノウハウは他のコーチや選手に伝えられ、チームとなっていった。

 一方で、代表選考も見直した。日本水泳連盟が独自に定める派遣標準記録を突破した上で、選考会で1位ないしは2位になること、としたのだが、派遣標準記録は、国際水泳連盟が設けている五輪参加標準記録よりもはるかに厳しいタイムに設定されている。

 だから、より多くの選手を連れて行く枠があっても、基準に達しなければ枠が余ることもある。そのためか、いろいろな指摘があると上野氏は言う。

「4月の日本選手権でも、ほんのわずかタイムが届かなくて代表に入れなかった選手がいます。連れて行ったらいいんじゃないか、あるいは若手の選手を経験を積ませるために出せばいいのでは、という声もある。ただ、連れてきたはいいけれど、決勝に残らない選手が相次いだときに、チームの士気がどうなるのか」

 あくまでも、オリンピックで戦えるメンバーのみをそろえてのチーム化だということである。

 厳しい選考を潜り抜けた選手たちに、ともに戦う意識を持たせる。その積み重ねが、メダルをもたらしてきたのだ。

【次ページ】 レース直前の表情に見えた、チームであろうとする努力。

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