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ミスター・ヒト逝って、
昭和は遠くなりにけり。
~異能派レスラーを偲ぶ~ 

text by

門馬忠雄

門馬忠雄Tadao Monma

PROFILE

photograph byNIKKAN SPORTS

posted2010/05/30 08:00

ミスター・ヒト逝って、昭和は遠くなりにけり。~異能派レスラーを偲ぶ~<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

リングネームは昭和天皇の名前から拝借。引退後は故郷の大阪でお好み焼き屋を経営した

 団塊の世代には懐かしの異能派、ミスター・ヒト(本名=安達勝治)さんが4月21日、入院先の大阪市内の病院で亡くなった。67歳だった。

 昨年秋から、長く患っていた糖尿病が悪化し、入退院を繰り返していた。今年の1月に右足を切断、その傷口から雑菌が入り、薬が効かない状態になっていたという。

 彼のデビュー時を知る仲間は皆、本名の安達と呼ぶ。大相撲・出羽海部屋出身。浪速海の四股名で幕下17枚目が最高位。なにしろ、人を食った新人だった。

 1967年(昭和42年)の春、日本プロレスに入門した頃は、ちょうど選手の大型化の波が押し寄せていた。196cm、125kgで柔道日本一の坂口征二がプロに転向、同期に戸口正徳(キム・ドク)、轡田友継(サムソン・クツワダ)、後輩の小沢正志(キラー・カーン)、国際プロにはグレート草津、ストロング小林など、190cm台の選手がゴロゴロいた。

日本から来る若手に“海外で生きるイロハ”を指導。

 当時の安達は、183cm、112kg。「プロレスラーがこんなに大きい人ばかりとは思わなかった。知っていたらオレ、相撲を辞めてないよ」と言って馬場、猪木を笑わせ、同じ関西出身で大先輩の小柄なミスター珍さんを「屁で飛ばしてやる」などと言って怒らせる口達者ぶり。「お茶の間の奥様方が泣いて喜ぶ浪速海」などと言っては煙に巻き、「お前は、この世界で10年もメシを食っているような顔をしているな!」と現場責任者の吉村道明をあきれ返らせていたものだ。

 '73年1月、永源遙(現・ノア相談役)とともに米国武者修行に出発。日プロ崩壊後もそのまま海外に踏みとどまり、カナダ・カルガリー地区を拠点に、ミスター・ヒトの悪名で暴れるようになった。

 日本では前座レスラーだったが、ヒトに変身してから大ブレーク。カルガリー地区のプロモーター、スチュ・ハートの下で働き、後にWWF(現・WWE)のヘビー級王者となるスチュの四男ブレット・ハートを指導したことで知られた。

 日本から修行に来た若い選手には“海外で生きるイロハ”を教えた。ホームステイまでさせて面倒を見る親分肌の人だった。馳浩(現・衆議院議員)は、いまでも「自分のお師匠さんでした」という。彼の訃報に接した時、昭和は遠くなりにけり、を実感した。合掌――。

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