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<団体へ懸ける思い> 内村航平 「日の丸の重みを知って」 

text by

矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byAFLO

posted2012/07/25 06:01

<団体へ懸ける思い> 内村航平 「日の丸の重みを知って」<Number Web> photograph by AFLO

団体戦にこだわるようになったきっかけ。

 内村が、「チーム戦を意識するようになったのは大学から」と振り返る原点の地、日本体育大学健志台キャンパスは、神奈川県横浜市の丘陵地の一角にある。高校3年生だった2006年に、池谷幸雄、西川大輔以来となるナショナル強化メンバーに選ばれていた内村は、2007年4月、鳴り物入りで日体大体操競技部に入ってきた。

 ところが練習では単発で技を繰り返すばかり。きつい練習を好まず、周りが気がつけばトランポリンで飛び跳ねている。そのため、一度失敗するとその後もミスが続いてしまう傾向が見受けられた。

 体操競技部の畠田好章監督の目には、そんな内村の姿が「これだけ技ができるんだ」と自分の才能を誇示しているように映った。だが、好きな技だけを単発で練習しても、高難度の技を一連の演技としてまとめ、ミスなく美しくこなすには至らない。それでは世界に出て行ったときに通用しないのだ。

「おそらく本人は、単純に技の練習が楽しいからそういう練習をしていたのでしょう。でも、彼がいずれ日本を代表して世界で戦う選手になるのは分かっていたので、できるだけ早い段階で、日の丸をつけて戦うとはどういうことかを知ってほしいと思いました。だから、1年生の春に、『まず何でもいいから団体の代表メンバーに入れ。入れば分かるから、とにかく入れ』と言いました」

大学1年時のユニバーシアードで、日の丸を背負って戦う意義を痛感。

 畠田監督の言葉に、内村は最初、「え?」と首をかしげていたという。それでも、その年は1年生ながらユニバーシアード大会のメンバー入りを果たし、中高を通じて初めて日本代表として大会に出場した。

 タイで行なわれた大会では団体金メダルに貢献。種目別でもゆかで金メダル、跳馬で銅メダルを獲得した。そして、タイから帰国したとき、内村の意識は180度変わっていた。いや、変えられていたのである。

「優勝したことがうれしかったのはもちろんですが、ユニバーでは僕一人が気楽な感じで、他の選手はもう合宿の時点で近寄りがたいほど集中していたことが印象に残っています。日の丸をつけるということはこういうことなのだと、気づかされました」

 そのときのユニバー代表は、アテネ五輪団体金メダリストであり、日体大OBである水鳥寿思や、後に北京五輪でともに団体銀メダルに輝く坂本功貴(当時順大3年)、そして今回のロンドン五輪で一緒に戦う田中和仁(当時日大4年)もいた。合宿では目の色を変えて練習に取り組む先輩たちの姿に圧倒された。

【次ページ】 先輩たちの厳しい練習の前に、あぶり出された弱点。

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