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<“燃え尽き”を乗り越えて> マイケル・フェルプス 「水に戻ってきた8冠王者の最終章」
text by
及川彩子Ayako Oikawa
photograph byAFLO
posted2012/07/24 06:02
ラスベガスに行きたくなって、練習をサボることも。
かろうじて練習は続けていたが、五輪後についたサボリ癖は抜けず、頻繁に休むようになった。大事な試合を控えていても、約束の時間に姿を現さないことがたびたびあった。
「朝起きたら、ゴルフがしたいなぁと思って」
「映画を見ていたら、急にラスベガスに行きたくなって」
しびれを切らしたコーチが連絡すると、そんな返事が返ってきた。
「やりたくないことを無理にするよりも、楽しいと思うことをした方がいいから」と悪びれる様子すらない。
北京五輪直後には、新しい種目への挑戦も示唆していたが、練習不足の状態では国内予選を勝ち抜くことが難しく、得意種目のバタフライに国際大会の出場権とメダル獲得を頼らざるを得ない状況だった。
ロンドン五輪まで、残り2年を切っていた。
怪物に救いの手を差し伸べたのは、やはり水泳だった。
苦しみ、もがいていたフェルプスに手を差し伸べてくれたのは、やはり水泳だった。嫌々ながらも「仕事だから」と我慢して泳いでいるうちに、少しずつ心境に変化が生じた。
フェルプスが通う水泳クラブには、フェルプスに憧れる中高生スイマーが大勢いた。世界選手権や五輪出場を夢見る彼らが目を輝かせて泳ぐ姿や、ゲスト参加した水泳教室で無邪気に水と戯れる小さな子供たちに接するうちに、自らの間違いに気づかされた。
「ロンドン五輪で再び8冠」などと口にする人は誰もいない。北京以上の結果なんて出せないと決めつけて、早々に諦めたのは自分だった。北京五輪で味わった超越した感覚は、もう二度と感じられないかもしれない。でも場所もライバルも、目標も違う中で全力を尽くせば、それでいいんじゃないか。
自らを8冠の呪縛から解き放ち、心の声に素直になったフェルプスは、再び活き活きと水を掻きはじめた。
「やっぱりもう一度、五輪に行きたい。本当は北京が終わった瞬間から、ロンドン五輪への出場を願っていた。泳ぐのが楽しいと感じ始めたのは1年くらい前からかな。水泳への情熱と愛情が戻ってきたんだ。北京五輪からの2年半くらいはただ泳いでいただけで、全然楽しくなかった。速く泳ぐことも、いい感じで泳ぐこともできなかったし」