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<UTMF密着ドキュメント> ウルトラトレイル・マウントフジ体験記~日本一過酷な「旅」の果てに~ 

text by

山田洋

山田洋Hiroshi Yamada

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photograph byMami Yamada

posted2013/04/24 17:10

<UTMF密着ドキュメント> ウルトラトレイル・マウントフジ体験記~日本一過酷な「旅」の果てに~<Number Web> photograph by Mami Yamada

帯状に連なり一本の線となった無数のヘッドライト。

 昨年、3・11の震災で延期になってからも僕はこの大会を目指して日々過ごしていた。

 普段のランからザックを背負って走ったし、食事も改善し、生活そのものがUTMF中心に回っていた。多くの仲間たちと山に出掛けては走り、情報を交換し、一緒に酒を飲み励まし合ってきた。「終わるのか? 本当にここでお前は終わるのか? それでいいのか?」内なる声に揺り動かされ、フッと目覚めた。どれくらい眠っていたのかわからないけど、僕は立ち上がり、再び前に進み始めた。

 毛無山を越えてから雨ヶ岳に向かう山中だったか、5、6人くらいの集団の一員になっていた時、一人の女性が叫ぶように言葉を発した。「ちょっと、何あれ!」。声が差す方角に目を向けると幻想的な風景が目に飛び込んできた。毛無山を下る無数のヘッドライトが、隊列を組むように帯状に連なり、一本の線となって稜線をかたどっていたのだ。

 一番辛かった箇所はどこだったかと聞かれたら、間髪入れずに天子山塊と答えるだろう。一番思い出に残る場面はと聞かれたら、即座に無数のヘッドライトの光と答えるだろう。これ以上もう力は残っていないと思ったときだからこそ、眠っていた本当の力が沸き上がってくるのかもしれない。そしてちょっとしたご褒美を分け与えてもらえるのだろう。

仮眠室が用意された建物はまるで野戦病院のようになっていた。

 午後11時09分。10時間42分を要して天子山塊を乗り越え、想定より4時間ほど遅れて129km地点のA9にたどり着く。

 ここにはサポート隊のみんなが待っていてくれた。思えば彼らも32時間余り移動を繰り返し、交代で車中泊をしながら、時には初夏を思わせる暑い日差しの中を、時には冷え込んだ深夜、毛布に包まりながら選手へのホスピタリティをキープし続けていた。サポート隊をサポートしてあげたくなるほどに。

 仮眠室が用意されている建物の中に入って行くと、廊下にまで横たわる人で溢れ、まるで野戦病院のようになっていた。ランニングの大会でこんな光景を見たのは初めてだ。僕はフットマッサージを受けた後、廊下で少し寝ることにした。

 たっぷりと5時間以上も休養を取り、午前4時過ぎ、限りなく身軽な装備でゴールに向かうことにした。夜は白々と明け始めていた。

【次ページ】 最終盤、河口湖畔を走りながら抱いた不思議な感情。

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