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逆境を力に変えてきた、
4番・村田修一の真骨頂。
~“悲劇のヒーロー”からの脱却~ 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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photograph byKYODO

posted2012/06/22 06:00

逆境を力に変えてきた、4番・村田修一の真骨頂。~“悲劇のヒーロー”からの脱却~<Number Web> photograph by KYODO

6月9日の西武戦、9回にサヨナラ打を放ち、派手なガッツポーズで、一塁へと向かう村田。

 蘇ったのは、生まれ育った福岡の地でのことだった。

「自分を変えるためには、横浜を出た方がいい」と考えた村田修一は'10年オフ、ソフトバンクへのFA移籍を考えた。だが、当時4歳の長男には持病があり、かかりつけの医師のことを考えれば関東を離れることはできないと、横浜残留を決めた。昨オフ、第2回WBC以来、バッティングを評価してくれていた原辰徳監督たっての願いもあり、FA移籍を決断し、巨人のユニフォームを着た。ところが、開幕からチームは低迷し、5月1日から4番を任されていた村田も、その責任を背負い込んでいた。

 迎えた6月6日の福岡でのソフトバンク戦、3対3の9回表だった。原監督は長野久義、坂本勇人に重盗を指示。1死二、三塁となり、左腕・森福允彦に3-2と追い込まれてから、村田はバットをグリップエンドから一握り分ほど余らせて握った。本塁打よりも、“最低限の仕事”を選び、10球目にきっちりとセンターに犠飛を放った。

大芝居に出た村田が放った“意地”のサヨナラ打。

 ここから本来の力を発揮した。3日後の6月9日の西武戦。3対3の同点で迎えた9回1死二塁の場面で、坂本が敬遠の四球で歩く。“自分の前で敬遠されたら、打ち返すのが4番の意地”と考えた村田は大芝居に出る。1ボール1ストライクからのスライダーを空振りすると“あれだけの空振りをすればもう1球、スライダーを投げてくるはず”の読み通り、待っていたスライダーをセンターに弾き返すサヨナラ打。4番の大仕事を果たし、「ここ(巨人)に来て良かった」と素直に語った。

 息子の持病に悩んでいた夫人に「悲劇のヒロインを演じるんじゃない」とハッパをかけていた村田。巨人に来てからの日々をこう振り返る。

「どこか悲劇のヒーローになっていた部分があった。そんなとき、力をくれたのは子供たちだった。家で結果を聞きたがるから、キチンと答えられるようにしないとネ」

 福岡の村田の実家には、近くに住む詩人・山本よしきの“下り坂、回れ右すりゃ登り坂、目の位置変えればピンチもチャンスに”という詩が飾られている。逆境の中でも、チームの勝利に貢献できる4番がいる巨人は強い。

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