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<母国開催のEUROを前に> シェフチェンコ 「ウクライナのために僕の全てを捧げたい」 

text by

豊福晋

豊福晋Shin Toyofuku

PROFILE

photograph byDaisuke Nakashima

posted2012/06/05 06:01

欧州の頂点を極めた男が、10年ぶりに帰ってきた。
母国開催のユーロのために、ビッグクラブとの契約を振り切って。
最後の舞台へ向け、故郷キエフでその牙を研ぐ英雄。
彼の口から語られたのは、ウクライナサッカーへの愛だった。

 今から3年前の夏に、アンドリー・シェフチェンコはひとつの決断をした。

 2009年8月、シェフチェンコはロンドンにいた。身にまとっていたのはチェルシーのユニフォーム。彼は始まったばかりの2009-2010シーズンを戦っていて、ベンチにはミラン時代の恩師カルロ・アンチェロッティ監督がいた。

 負傷が続いたそれまでの数年間は彼にとって不本意なものだった。納得のいくプレーは見せられず、前年は古巣のミランにレンタル移籍。かつてのストライカーの復帰にミラニスタは沸いたが、サンシーロでの1年間も満足のいくものではなかった。

 チェルシーとの契約はあと1年残っていて、コンディションにも手応えを感じていた。しかし彼は、古巣のディナモ・キエフへ戻ることを決断する。背中を押したのはひとつの思いだった。

「僕にとって1番大事なこと。それは何よりもユーロ2012だった。もちろん、色んなことを考えた。契約も残っていたし、他のクラブにいく選択肢だってあった。プレミアリーグにチャンピオンズリーグ。欧州の頂点でサッカーをし続けたいっていう気持ちもあった。それでも思ったんだ。僕はいま国へ帰るべきなんだと」

祖国は10年ぶりの英雄を温かく迎え入れた。

 細く、薄い色をした木々が並ぶキエフ郊外、ディナモ・キエフの練習場の一室で、シェフチェンコは懐かしむように話す。

 シェフチェンコがウクライナに帰ってくる――。祖国は10年ぶりの英雄を温かく迎え入れた。国中のメディアが彼の帰還を大々的に報じ、人々はその姿を見るためにスタジアムへと駆けつけた。

 そこにスタンフォード・ブリッジやサンシーロのような熱狂はない。それでも母国の歓声に包まれ、久しぶりに着るディナモのユニフォームはどこまでも心地良かった。

「自分のキャリアを振り返ってみて、時代がひと回りしたのかな、とも考えた。サッカー選手のキャリア、それはちょうど大きな円のようなものなんだ。僕は9歳の頃にディナモでサッカーを始めて、ユース、ディナモ2、トップチームと階段を駆け上がっていった。ここを出てミランへと移籍したのは1999年のことで、それからちょうど10年間が経っていた。3年後のユーロ、そして心のクラブでもあるディナモのファンの前でゴールも決めたかった。あの決断は今でも正しいものだったと思っている」

<次ページへ続く>

【次ページ】 「僕のキャリアにおける最後の大舞台になるだろう」

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