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<ナンバーW杯傑作選/'93年11月掲載> 夢の終わり、真実の始まり。 ~ドーハの悲劇。ラスト10秒で地獄へ~ 

text by

大住良之

大住良之Yoshiyuki Osumi

PROFILE

photograph byNaoya Sanuki

posted2010/05/11 10:30

 あと10秒だった。

 あと10秒で日本はイラクを2-1で下し、追いすがる韓国を退けてUSA'94への切符を獲得するところだった。あと10秒で日本サッカー七十数年の歴史に新しい1ページを加え、大きく飛躍していくきっかけをつかむところだった。あと10秒で……。

 アルアリ・スポーツクラブで声の限りに応援したサポーターたちだけでなく、テレビで見ていた数千万の日本人、そして日本チームの選手、オフト監督自身も、その瞬間に起こったことに目を疑っただろう。

 後半45分ちょうどの右コーナーキック。短くつながれて日本ゴール前に送られたボールは、次の瞬間、日本のゴールのネットを揺るがしていた。「サイドネットでは?」「何か反則は?」。藁にもすがる思いでレフェリーを見たが、主審はセンターサークルを指し示すだけだった。

 たった10秒で、日本サッカーの大いなる夢は終わりを告げた。

 結果から見れば、これは数十年続いた歴史の繰り返しであり、日本サッカーはまたも世界への挑戦に失敗したということになる。しかし、ただ「負けた」という一言ではすまないものを、ハンス・オフトの日本代表は日本のサッカーに与えてきたと私は考えている。ドラマを語るのは他のページにまかせたい。サッカーを専門とするジャーナリストとして、私はここでハンス・オフトの日本代表の1年半の戦いの意義を見つめ直し、これからのことを考えてみたい。

ドーハでの日本代表を襲った好不調の波。

 オランダ人のハンス・オフトが日本代表の監督に就任したのは'92年の4月のことだった。5月のキリンカップ2試合で最初の指揮をとり、7月のオランダ遠征(合宿)でチームを固めたオフトは、8月のダイナスティカップ(北京)で早くも成果を上げた。韓国、中国、北朝鮮という強豪を退け、見事優勝を飾ったのだ。

 そして11月には、日本のファンの前で偉業を成し遂げる。アジアカップ優勝、アジア・チャンピオンのタイトルだった。'93年4月にはすばらしい戦いでワールドカップアジア第1次予選を乗り切った。

 だが、10月、カタールでの最終予選を迎えたときには、奇妙な調子の波がチームを襲った。サウジアラビアとはまずまずのプレーで引き分けたものの、続くイラン戦では悪い時間での失点で1-2と敗れた。オフトは2試合を「肩に40kgの荷物を乗せたようなプレッシャーが選手にある」と表現した。

 だが、この土壇場へきて、チームは本来の力を取り戻した。対北朝鮮戦でカズが自らの不調を吹き飛ばす2ゴールを決め、中山に計算しつくされたパスを送って3-0で勝利を収めたときには、すべてのプレッシャーは去り、問題は解決されたと思われた。

 続く韓国戦は大会のハイライトだった。韓国が選手のポジションを間違い、誤った戦術で戦ったとはいえ、はっきりと力量の差を見せつける勝利。オフトが1年半にわたって求め続けてきた戦術的な仕事(タスク)を、11人全員が90分間にわたって展開した、すばらしい勝利だった。

 たくさんの問題を乗り越えて対韓国戦の勝利をつかんだチームは、アジアを代表してワールドカップに出場するにふさわしいチームといえた。

<次ページに続く>

【次ページ】 誰もが日本の勝利、そしてW杯初出場を確信した。

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